「蛮ちゃん。ごめんね。」 「ああ。もう、いいっつってんだろ!いい加減、聞き飽きたっつーんだよ。」 「でも…。」
尚も何か言おうとする銀次。 『顔は見えなくても』、その表情は容易に想像出来る。
気配で顔の位置を探り、指先に触れた顔を包むように捉えると、その真ん中にちょこんと座った鼻をぎゅっと摘んでやった。
「ば、蛮ひゃん。いたひよっ。」 「二度とは言わないから、よく聞け!」
包むように捉えた手はそのままに、俺は言葉を紡ぐ。
「これは、俺のミスだ。物陰の敵に気付かずに体当たりくらって、サングラス飛ばした挙げ句、まんまと『雷帝フラッシュ』をモロに浴びちまったんだからな。」 「でも、蛮ちゃんは『待て』って言ったのに、俺…。」 「二度とは言わない、つったろ?奪還品も依頼主に渡せたんだし、この視力だって強い光を浴びただけの一時的なもんだ。だから、この件はこれで終わり。いいな?」 「…うん。」
納得したようなしてないような、歯切れの悪い返事。 だが、暗い気配は一瞬にして吹き飛ばされた。しかも、当の本人によって。
「わかった。それじゃ、今日一日、俺が蛮ちゃんの目になるよ!何でもするね!」 「何でもって…。」 「蛮ちゃん。今、何がしたい?」 「読みかけの本を読みてぇなぁ…とは思うけどよ。」 「まっかせといて!」
この狭い部屋の中を何を走る必要があるのだろうか、ドタバタと駆けていく銀次の足音が響く。 その足音が、俺の目の前で止まると、たどたどしい声がタイトルを読み上げる。
「お前、タイトルから躓くんじゃ、その先読めんのか?」 「大丈夫だって。えーと…。ば、蛮ちゃん、これ!」 「どうした?」 「フリガナふってないよ!」 「当たり前だ。ボケ!」
目が見えていなくても、正確に銀次の頭に拳を打ち下ろす自分に、ある種、惚れ惚れする。
「えぐえぐ。じゃあ、コーヒーでも煎れてくる…。」 「おう。」
痛む頭を擦り擦り、銀次の気配が台所へと消えていく。 続いて聞こえてきた、コーヒーを煎れているとは思えない大音響と、その合間に漏れる、銀次の小さな叫び。
「でーきた。蛮ちゃん。飲んでみてよ。」
見えなくてもわかる。 それが、レナが最初に煎れたコーヒーと匹敵する代物である事に。
「いい。いらね。」 「どうして?折角煎れたのに。」 「だったら、まず自分で飲んでみな。」 「えー。うまく煎れられたと思っ…#$%&@*?!」
−数秒後
「どうよ?」 「…うん。なんか、お花畑が見えてきたよ。それじゃ…。」 「もう、いいって。」 「え?」
我ながら、冷たい言い方だなと思った。
「何もしなくていいって。たかが、目が見えなくなったくらいどうって事ねーよ。お前が世話焼くまでもねー。」 「でも、俺のせいだし。蛮ちゃんの力になりたいよ!」 「それが、この結果だろ?」 「蛮ちゃん…。」 「俺は、寝る。」
そう言い捨てて、銀次に背を向け、俺はささくれ立った畳に寝転んだ。
何をイライラしてるんだ?俺は。 銀次にも言ったように、たかが目が見えないくらいで。
昔は、こんな瞳なんて潰れてしまえばいいと思った。
例え、それでこの瞳に何も映さなくなったとしても、 この瞳に映る世界になど、何の未練もなかったから。
−じゃあ、今は……?
自分自身に問いかけて、辿り着くイライラの訳。
見えないはずの瞳が、眼裏で映像を紡ぎ出す。 そこに咲く、大輪の笑顔。
「ぎ…んじ?」
寝たふりをするつもりが、本気で眠っていたらしい。 あるべきはずの気配はなく、静寂が横たわるだけの静か過ぎる程静かな部屋があるだけだった。
「銀次!いねーのか?銀次!」
もう一度、名を呼ぶ。 けれど、答える声はない。
突如、這い登ってくる言いようもない不安。 孤独に慣れているはずの俺の胸を寂しさが襲う。
さっきの俺の態度に嫌気が差して出て行ったんじゃ…?
急速に速まる心音が、ライブ会場のドラム音のように煩く鳴り響いている。
嘘だろ?銀次。 俺を一人にするのか?
「…んじ。銀次。銀次っ。」
呼ぶ程に虚しさが募る。 喉の奥がヒリついて、呼吸すらも危うい。
俺はこんなにも弱かったのか?
自問しては、否定し、迫る不安が胸を焦がすばかり。
「…っ。銀次のばっかやろ!」
「ご、ごめんなさい!」 「え?銀次?」
ボロアパートのドアが千切れそうな程、痛々しい音をさせて開いた。 忙しなく靴を脱ぐ気配に続いて、動く度にカサカサとビニール袋が鳴った。
「蛮ちゃん寝ている間にと思って、ホンキートンクで食料調達して来たんだ。ごめんね。目が見えないのに、寂しかったよね?」 「誰が、寂しいなんて…。」
最後まで言い終わらぬうちに、俺は抱き締められた。 規則正しく刻まれる銀次の心音が、酷く心地よい。
「大丈夫だよ。蛮ちゃん。例え、蛮ちゃんが一生見えなくなったって、俺は蛮ちゃんを一人にしないから。」 「さっき、一人にしたじゃねぇか。」 「うっ。でも、今度は絶対一人にしないよ。」 「どうだか。だいたい、お前は…。」 「もう、蛮ちゃんはうるさいなぁ…。」
−それじゃ、キス出来ないでしょ?
押し当てられた唇が伝えてくる銀次の唇の温もり。
ガキみてーに温かい手が耳を塞ぐ。 俺は視覚だけでなく聴覚までも奪われた。
なのに…
くちゅり、ちゅくくちゅ…
ぬめった舌が口腔を駆ける音が、大音響で響いてくる。 鼓膜を揺すって聞こえてくるのではなく、テレパシーみたいに脳に直接聞こえてくるような、不思議な感覚だった。
舌と舌が絡み合い、解け、また絡み付く。 ざらりとした上顎を撫で、柔らかな唇が戯れに舌を食み、そして、吸い上げる。
くちゅ、ちゅ、くちゃ…
小川のせせらぎを間近で聞くように、絶えず水音を響かせながら、口付けは続く。 まるで、音に支配されている気分だ。 視覚を奪われているから余計、そう感じるのかもしれない。
ふっと、耳を塞いでいた手が離れたかと思うと、俺は万年床の薄い布団に押し倒されていた。
「このまま、抱いてもいいかな?」
見えない俺を気遣って、銀次が尋ねる。 あの温かい手が俺の頬を慈しむように撫でた。
「怖い?」
首を横に振る代わりに、俺は口角を歪ませた。
「いいから、抱けよ。」
不安がないと言えば、嘘になる。
けれど、この不安はさっきまでの不安とは違う。 期待と紙一重の、もっと甘いもの…。
「蛮ちゃん…。」
再び唇が重ねられた。
二つの影は重なり、やがて交わって一つになる。
我ながら単純だ。
銀次の温もりを感じただけ。 それだけで、もう、この胸に不安は欠片もない。
「…あっ……ぎん、じっ……あぁ、んっ…ぁ。」 「蛮ちゃんっ…蛮ちゃん…。」 「あぁ……いっ……もっ、だめっ……ああっ…イくぅ…。」 「蛮ちゃん。俺もっ。」 「あああぁーー……ぎんっ…。」
明日……
見えるようになったら、真っ先に大輪の笑顔を見よう。
薄れゆく意識の中で、俺はそう思った。
【あとがき】 キリ番ハンター神成様(笑)42000HITおめでとうございます。 並びに44000HIT、45000HITもおめでとうございます。さすがですね(*^_^*) 『外的要因で一時的に視力が失われた蛮ちゃん』とのリクエストに、若干乙女チックな蛮ちゃんになってしまったんですが…(;-_-)ビクビク 気に入って下されば幸いです。ありがとうございました。
goto様、ありがとうございます。毎回毎回、蛮ちゃんが可愛い。
キリ番踏みまくりの焔ですが、毎回わがまま聞いてもらって幸せです〜。 懲りずにきり番狙います(←え?)
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