陽が落ちると途端に空気から暑さが失われて行く。 昼の日中はいまだ『夏』のように感じられるのに、夜になるともう『秋』なのだと、納得させられてしまう。 そんな、時期。 せまっ苦しいてんとう虫の中でも、夜だけなら、窓を開けるだけで過ごしやすくなる。 それだって、本当に陽のない夜の間だけなのだ。朝日が照ればすぐに蒸し暑くなって、居られなくな るのだが。
公園の脇に止めたてんとう虫のシートに寝そべって居ると、開け放してある窓から、風と共に虫の 鳴き声も入り込んでくる。 「虫の声かぁ‥‥。秋だねぇ」 「‥‥だな。ついこないだまで暑い、暑いって煩かったのによぉ」 「もう、夜だけなら暑くないもん。昼間は、まだちょっと暑かったりするけど。もう少しすれば日中も過ご しやすくなるし」 「まあな。でもよぉ、そうすっと、すぐ冬だぜ? 今度は寒い寒いって煩くなるくせに」 蛮の何気なく言った言葉に、ぎくりと銀次は固まった。 ついつい、去年の失敗が頭の中にリピートされてしまったりして、頭を抱えたくなる。 蛮は素知らぬ振りを通してはいるが、銀次の変化などお見通しだろう。ついでにその原因も。
去年の冬。それはもうとんでもなく底冷えした夜のことだった。 一人で毛布に包まっていたって寒いんだから二人で一緒に、2枚の毛布に包まった方が、絶対に 温かい。と、銀次は目一杯主張して、 珍しく蛮が折れたのだった。 まあ、確かに寒かったし、これ以上銀次と言い争って寒い思いをしているよりは(蛮の毛布は銀次 に取られてしまっている為) どっちだっていいからさっさと毛布に潜り込みたい、という気持ちのほうが強かった所為だろう。 もっとも、蛮はこのとき簡単に折れたことを後で思いっきり悔やむ事になったのだが、この時点ではそ れはまだ未来の事。 流石に彼も見通せないらしい。
そして、翌朝。 銀次は蛮の鉄拳制裁で目覚める事となったのである。 どうやら、寝ている間に寝ぼけた銀次が蛮に『何か』したらしく、彼の機嫌は類を見ないほど悪かった。 『何か』としかいまだ銀次には分からないのだが、その事については、蛮はがんとして口を噤んでしま うのだ。 尤も、思い出したところで今更、蛮に謝ったりすればその場でスネークバイトを貰う覚悟が要るだろう。 なにせ、その夜など、銀次がちらとでも『寒い』とでも口にすれば、蛮がぎろりと睨みつけてくる始末だ。 更に、キレた蛮に因って銀次はてんとう虫から蹴りだされる羽目になってしまったのだ。その後、運 転席側の窓に張り付き、謝り倒す事2時間。 蛮の怒りも収まったのか、漸く許されて中に入れてもらえたのだった。 もう、鼻水はずるずるだし、寒くて歯がガチガチなるし、言葉だってまともにしゃべれないくらい震え ていた。気分はこれ以上ないくらい最悪。 けれど、それで風邪をひいて寝込んだ、なんて事は無い。 銀次は結構丈夫に出来ているらしかった。只単に、鈍いだけなのかもしれないが。 許してはもらえたが、その後2日ほどは近くに寄る事も出来ないくらい、蛮ちゃんは警戒していた。 毛を逆立てた猫の様に。 それが2日で済んだのは、蛮が風邪をひいて熱を出して寝込んでしまったからだ。 もし、そうでもなければ、ひょっとして、てんとう虫の中で凍死の覚悟をしなければならなかったかも しれない。
「そっかぁ‥‥。今が過ごし易い時期だって言っても、すぐ冬がくるんだ、ねぇ」 「暑くても、寒くても、てんとう虫の中じゃあなぁ」 蛮がポツリと呟いてから、タバコを銜え、火をつけた。 紫煙が窓からの風に流されて行くのが目の角にみえた。 「うーん。秋の、過ごし易いうちに、がんばって一杯仕事しようよ」 そうして、お金を貯めて、.部屋を借りる。 金運に見放されているけれど、がんばれば冬の寒い間くらいはどこかに部屋を借りるくらいは出来る 筈だと、銀次は思っている。 「‥‥。仕事の、『秋』ってか?」 「へ?」 「俺はてっきり、銀次は食欲の『秋』の方だと、思っていたんだがな。いや〜、意外、意外」 「あ〜、それいいよねぇ。食べ物もいっぱい、おいしい季節だし‥‥」 えへへっと、銀次は笑った。 頭の中にはきっと秋の食べ物が大量に飛び交っている事だろう。 「ま、そっちにしたって先立つものがなけりゃあ、無理だな」 「あう〜。それを言わないでよぉ。だから、がんばってお仕事しようよぉ」 「ま、確かにな。明日ッからまた、ビラくばりして客引きだな」 「うん。まだ、暑いけど、真夏じゃないし」 「涼しくなるのは、すぐだろ。この虫の声聞く限りじゃな」 そう言って、タバコの火を消すと、蛮はシートに横になり、目を閉じた。 「うん。蝉の声も、少なくなったしね‥‥。おやすみ」 銀次も、目を閉じた。 窓の外から、微かに、けれどもしっかりとした存在感を醸し出している秋の虫の合唱を子守唄に、 二人は眠りの中に誘われる。 そよそよと、秋の色を纏った風が優しく吹いている。
本格的な暑さが和らぐまで、あと少し。 そんなある一日でした。
終り
コメント; 去年、銀次がやらかした失敗は、謎です。そのうちUPするかもですが、裏じゃないので期待し ないで下さい。本当はこれ、もっと後にUP予定だったんですが、時期が合うので先にしてみた。
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