わんこ物語 『はっぴー・てーる』
かつては裏新宿などと呼ばれた物騒な界隈が、区の打ち出しだ美化運動が効をなしたか、すっかり穏やかな姿へと面変わりを果たしてはや二年の歳月が流れた。
朝の清清しい空気と柔らかな日差しが差し込む店内では店主の男が、モーニング用のパンを切り分け、ドイツから直輸入したソーセージをボイルしていた。
通りに面した街路樹の桜樹があどけない少女の頬のように、薄紅色の花弁をちらほらと開かせていた。満開というにはまだまだ先の話だ。それでも、店内のウィンド越しより見える桜に春の訪れを感じ、つい口元が緩む。
店内にコーヒーの香りが広がる頃、カランと軽やかなドアベルを奏でながら、ドアが開くと、鼻のてっぺんを真っ赤にした少女が、愛らしい笑顔を浮かべながら入ってきた。
「おかえり」
開店にはまだ時間がある。ドアにかかったクローズのボードが、ゆらゆらと揺れていた。
「ただいま〜」
はあはあと吐く息が少し白い。
「随分温かくはなってきたといえ、まだ外は寒かっただろう」
「いっぱい走ってきたから平気です。体、ぽっかぽっかですからぁ」
「すまんな。朝早くから、こいつらの面倒までみさせちまって…」
「大丈夫です。ラッキーもお散歩仲間ができて、とっても嬉しそうなんですよ。それに銀ちゃんも蛮さんもとってもいい子ですから、全然大変じゃないです」
くりくりとした黒い目を、優し気にそばめながら下方を見れば、彼女の足元でこぼれるような瞳で見返しながらさかんに尻尾を振る、ちょっぴり太めのミニチュアダックスフンドと大型の犬が仲良く並んで座っていた。順番に頭を撫でながら笑いかけてやると、ぐりんぐりんと尻尾を回しては、彼女の愛情に答えようとする。
彼等のこの無邪気な愛情に触れると、なんともいえないような暖かな気持ちになるのはなぜだろうか? ただ単に犬、動物好きだからとはいえないものがあるようにしか思えない。そんなことを思いながら犬達のリードを外し、所定の場所にリードやマナーバッグを置きに行こうとすると、バックヤードの物陰からおずおずと覗いている子と目があった。
ほわほわとした真っ白な綿毛はその姿から、白い妖精とも呼ばれる綺麗なスピッツの女の子で、彼女はにっこり微笑むとその目線にあわせるように腰を落とした。そして、語りかける声はあくまでも優しい。
「こんにちはレナちゃん。今度はレナちゃんも一緒に散歩行こうね」
ちいさく傾げた小首は愛らしく、振られた尻尾はわずかだったが、それでも彼女は嬉しかった。最初にこの愛らしい妖精が来た時のことを思えば随分な進歩だ。心無い飼い主によって得た傷は何も見てくれだけのことではなく、心の中につけられたものこそ、根深く辛い。再び人への信頼を取り戻してくれることを願うしかない。
とはいえこれはまた、別の話しだ。今はもう安全で、『彼女』をおびやかすものはここにはない。
幼くして両親を失ったが、少女は両親の残した少なくはない財と周囲に支えられ元気で健気に生きている。
水城夏実。今年最後の高校春休みを満喫することもなく、朝も早くから己の飼い犬以外にバイト先の犬の世話にいそしむ、この店唯一の人間の従業員だ。
新宿駅より幾分離れているが、区と都の区画整理でバス通りが整備されてより、交通の便もよいことから、閑静な住宅街が建ち並ぶ。裏新宿等と徒名され、悪の巣窟のように言われた治安の悪さも嘘のような清潔な街へと姿をがらりと変えられ、元来の住人達が戸惑ったのもしばらくの間で、すぐにこの快適な生活に昔からのように馴染んでしまった。新旧の住民の諍いも恐れた程にはなく、なんとなく落ち着いてしまっているところだろうか。そのなんとなくに少なからず一票を投じていないとは言い切れない店がここにある。
─── HONKY TONK ─── 愛犬家動物好きが集まる、ドッグカフェとしてこの裏新宿で人気が高まっている。……ただの喫茶店だったはずが、とんだ災難だ。
「じゃあ、みんなにごはんあげちゃいますね。いっぱい運動したからお腹ペコペコですよね」
夏実の言葉に待っていましたとばかりにいち早く飛び出したのはゴールデンレトリバーの銀次で、ぴょこんぴょこんと飛び跳ねながら、うれしそうに催促を繰り返す。夏実の足元にまとわりつき、ワフワフと返事を返しているとばかりに吠えたくっているのはコリーの蛮。ダックスのラッキーはその二頭の間をくりくりと回っている。互いに我こそは一番に貰おうと押し合いへし合いの状態だ。
「もう! 駄目です! 銀ちゃん、蛮さん、ラッキー!! おすわり! まて! お手!おかわり! ふせ!」
彼女の可愛らしい発声に合わせて、犬達がぴくんと耳をそばだてながら急いで動作を表すのを、バックヤードの隙き間から遠慮がちにぴこぴことお手を出しているレナの白い前足を目にすると、滑稽だが微笑ましくてついつい口元が緩んでしまう。
命令を行なう時は、アルファとして毅然とした態度を取らなくてはならないということはわかっていても、期待に満ち満ちた琥珀色の瞳が、嬉しそうに開いた銀次の口元からたら〜りとおつゆが糸を引きながら、彼等の目前に用意した餌皿の中へぽっちゃりと落ちるのを合図として、もしくは待たされる不満に遠吠えをし始めた蛮のこらえしょうのなさに人間の方が根負けするのを合図としてか、よし! という声も彼等のあまりのスピード感のある食い付きの良さに、掻き消えていった。
「おい、お前ら食わせてない子のようだぞ……。もうちょっと味わって食えよ」
この店のマスター、王 波児がカウンターから身を乗り出すようにごはん中のわんこ達を呆れるように眺めている。とはいえ、犬達にはそんな飼い主達の言葉など何処吹く風のことだろう。
あっという間に食べ終えた彼等は、名残惜しそうに他の皿の中身を物色しては隅っこに片鱗でも残っていないかと嘗め回す。全部の皿が磨いたようにぴかぴかになったところで、皿を片付け、外のボードをクローズからオープンに掛け直して、ようやっと開店となる。時刻は丁度9時を示していた。
開店時間より幾許かを過ぎた頃になると、ちらほらと客が入って来る。が、一般的な喫茶店時間としては早くもないせいか、通勤途中のサラリーマン等はほとんどお見かけしない。時間に余裕のある自由業の常連客が『就寝前』のコーヒーを睡眠薬代わりに飲みにくるかのことで、モーニングの売れ行きを気にする必要もなく通常の喫茶店からは、こんなので採算があってるのかと首を傾げたくなるほどのまったり感だ。
このまったり感は昼を少し回る頃まで続く。
つい最近張り替えたばかりの消臭入りコルトフローリング床で4頭がいっせいにあくびをしている。
新聞紙とおぼんの影でも。
本日のランチはレンズ豆とソーセージのスープ、マッシュポテトサラダに丸いパン、これに数種類のソーセージがつく。これは店に出すだけでなく店員の賄いとしても食される。ランチメニューは一種類のみ。
なんにしろ欲張ってもいいことはない。
あどけない瞳が、期待度一杯に見上げている。それを背なに感じながら急いでランチを頬張った。
そうして、普通の一般的な喫茶店がそろそろ落ち着く頃に、この店のピークはやってくる。
散歩帰り、散歩途中、散歩コースのひとつとして怒濤のように訪れる犬連れ客。途端に店は犬の吠え声と香水の渦に巻込まれる。
犬も含めた従業員はてんてこまいだ。
「夏実ちゃ〜ん、これ奥のボックス席5番ね」
「は〜い。マスター、オープンフロア7番さんケーキセット、ツゥーに、わんわんアラカルト、ワン、オーダーです」
「あいよ。カウンター2番さん、ブレンドOK」
「すいませ〜ん。うちの子こんなとこにおしっこしちゃったんですが」
「あっ、今行きます。おい蛮、これなあそこのお客さんに持っていってくれ。できるな」
波児から消毒液と雑巾の入ったバケツを手渡され、当たり前だというように鼻をならした蛮ははむとバケツの取っ手をくわえると、波児が指示した客の元へと的確に運んでゆく。
運ばれた先では、とたんにすごい、可愛いと絶賛の声があがる。
これもこの店の売りのひとつだ。わずか数坪の大きくはない店だがカウンターを取り仕切るのはマスターの波児ひとりのみ、後はウエイトレスのバイト少女ひとりという少人数での経営だ。以前の店ならば訪れる客層も違うこともあり、波児ひとりでの経営でもなんとかなったが、ドックカフェ等というありがたくもない? 付加がついて、まったりした隠居生活(その年でかい)が一変に崩れた。
この忙しさをきりもりするには、犬の手、犬の口か、も借りないとやっていけない。実際は客の手と労力だが、この方法なら誰もが喜びはしても、従業員の手抜きとの文句ひとつ出ることはない。
実際犬も従業員と数えれば、彼等はよくやってくれるのだ。
ドアベルの代わりをする。
客に愛想を振る。
席まで案内する。
客に愛想を振る。
お絞りを運ぶ。
客に愛想を振る。
メニュー表を運ぶ。
客に愛想を振る。
正月も(鏡餅と干支の着ぐるみ着用)節分も(鬼の角と雷様パンツ着用)お雛様も(御内裏様とお雛様ぼんぼりと菱餅等等着用)端午の節供も(兜装着一犬、残りこいのぼり着用)七夕も(織姫様と彦星、残り星着用)ハロウィンも(ジャック・オー・ランタン、魔女、デビル……)クリスマスも(トナカイ、サンタエトセトラ…)
客に愛想を振る。振る。振る。
得意げに戻ってきた蛮コリーの王族のマントのような白い飾り毛一本一本さえもがなんだか威張って逆立っている。たとえそれがエプロンのポケットに常備している御褒美狙いだったとしても、やり遂げた達成感に誇らし気だった。
ぶんぶん振るわれる尻尾が『俺はやったぞ。早く報酬よこせ』と語っていても。
閉店の時間は少し遅めの8時。これといって特別な意味があるわけではないのだが、ここがまだ危険な地と呼ばれていた頃から閉店時間を、通常の喫茶店より長めに取っていたことのなごりといってよいだろう。
バイトの夏実は6時で上がってもらっている。以前は5時までだったが、客はそれほど多くないものの切れ目なく訪れる為ひとりでは大変と、1時間延ばすことを押し切られたのだ。
犬達は5時になるといったん店の奥へと引っ込み、食事をもらう。これもなんだか夏実の担当のようになってしまっているが、以前彼女が5時までの勤務だった時、彼女の終了時間とともに食事を与えていたことのなごり。案外この店、店主のずぼらさが尾を引いているのか『〜のなごり』ものが多い。かわりといってはなんだが、彼女には時給を引かない30分程度の休憩を取ってもらうよう頼んではいる。
夏実と愛犬のラッキーが元気に店を後にする頃にはすっかり夜空に星が瞬いていた。澄みきった夜空の星星達が、明日もよい天気であることを物語っているようで、夏実は嬉しそうに天を仰いでから、振り返ると店のマスターや常連客と犬達に最後大きく手を振り自宅へと駆け出していった。
「クゥ〜ン……」彼女らの帰宅を少し寂しそうに眺めやる3頭の犬達の頭を、波児はかわるがわる撫で、後2時間程の時間を常連客の話しを聞きながらゆっくり過ごす。
この時間昼間の喧噪とうってかわった大人の一時に、時折挨拶の尻尾を振るう他、犬達の動きにも余裕があるのだろう。どこかゆるやかだ。
最後の客を送り出し、店を閉め、後片付けをすませ、春用のコートを引っ掛けて犬達と夜の散歩に出かける。
このところ暖かな陽気が続いていたせいで、コートも春使用に替えたのだが、さすがに夜の冷気にはまだ春物は早かったようだ。犬達の元気さと比べるとなさけないほどで、コートの襟を掻き合わせて、つい急ぎ足になる。
寒さに負けて、そうそうに散歩を終了させた人間は、犬の抗議に蓋をして、遅めの夕食を犬の哀れな程の頂戴攻撃を無情に撥ね除けながら、まったりのんびり入るつもりだった風呂をシャワーに切り替えて、マッパのまま飛び出す。
「おまえら〜うるせ〜!! いったい何やってんだ! 少しは大人しくしろよ! あっ! 誰だこれいたずらしたのは!!」
かじりぐちゃぐちゃになった靴下の片方を片手に、仁王立ちで素っ裸のまま犬達を怒っている姿というのは、かなりなさけない。
とはいえ、この情けなさを指摘してくれる者は今のところいないし、多分気づかないだろう。
穴のあいた靴下と犬の玩具が増える度に。
ようやっと落ち着けば、時間はすでに11時をまわっていた。
毎日の散歩、世話、大きな小さないたずら、遠吠え……。時に面倒で煩わしいと思うこともあるけど、何故だか嫌だと思ったことはない。
冷蔵庫からビールを一本とつまみのチーズを取り出すと、リビングへと移動して腰をすえる。習慣になっているテレビをつけると、名前も知らない新人アナウンサーの黄色い声がはずんでいた。
三頭の犬達はおもいおもいの場所を陣取っては、転がっている。
呑気そうなその姿に、ふと彼等と暮らし始めてからの時間と切っ掛けのことを考えて
波児はつい苦笑した。
二年前、この店を始める以前に勤めていた会社の同僚だった男が、ふらりと店に立ち寄った。男とは学生時代からの親友で、入社も同期だった。性格は正反対だが、奇妙にウマがあった。ドイツ人との二世だった親友は、ある日、彼の家庭の深い事情とまでは知らないが、ドイツへ戻ることになったという理由で、突然の会社辞職だった。
有能だった彼の仕事ぶりに何故と首を捻るものの、ドイツ人とのハーフというだけでも充分に話題となるのに、彼は己の私生活をほんの限られた者しか明かさないそのミステリアスさは、さらなる興味を沸立たせ、しばらく噂話しにはことかかなかったようだ。ほどなくして波児自身もこの店を経営するために辞職をしたのでその噂話しとやらがどこまで飛躍したかは波児自身しらない。
ただ、オープン間もなくの頃お祝にきた、元同僚達から聞いたところによれば、以前より仲が良かった波児と彼をめぐって二人は夫婦で、出来上がっているのだと噂されたこともあり、噂話しを面白がった酔狂者によって二人は手をとって駆け落ちしたのだと。そんな与汰話が咲いたらしい。
それ以降親友とは一度も会っていなかった。
だからこそ彼が、ふらりと現れた時はかなり驚いたものだ。
店の戸を半分だけ開いて少し困惑ぎみに尋ねた親友にただ黙ってうなづいた。幸い客もいなかったし、疲れた顔の親友を見てなんとなく駄目だとは言えなかったのだ。
『入ってもいいか……。実は、そのうお供もいるんだが………』
カウンターに静かに腰を据えた親友の前に彼が好んで飲むコーヒーを差し出した。
『ブルマンでいいんだろ……』
親友は少しだけ口角を上げ、うなづくとしばらくコーヒーの香ばしい香りを楽しみ、ゆっくりカップを手に取った。
『うまいな……』
『ああ……』
親友が会社を辞めドイツへ帰らなくてはならなかった理由を、詳しくはないが理解している。ドイツでも資産家の彼が日本で自由に生活していられたのはそれなりに理由があってのことだ。
『いつ戻ってきた?』
『日本には2ヶ月前から。すぐに顔を出すべきだったんだろうが、なんだか来づらくてな……』
『なんだよ、それは』
波児は笑ったが、来づらかったという親友の気持ちもわかっていた。
それは波児も同じこと。互いに挨拶も交わさず別れた。
『仕事は忙しいのか……』
『まあな…』親友は小さく笑うと、目線を足元へと落とす。その足元のフローリングにうずくまるように寝そべるトライカラーのコリー犬がぴくりと顔を上げた。
『明日にはドイツに帰る』
手を伸ばして犬の頭を撫でる。
『またそれは急な話しだな』
『ああ…』
また彼は足元の犬を見た。何か世程に気掛かりなことがあるのか、それとも言いづらいことでもあるのか、二度三度足元の愛犬を見てから波児をため息混じりに眺める。様子を窺うといった方があっているか。
『あのな…、波児………』
『ああ』
『犬を預かってもらえるか?』
『? い、犬って、まさか……』
『そうだ。この子。名前は蛮というんだ。多少プライドが高いところがあるが、根は優しいし、マナーも出来ているから決して迷惑はかけないと思う!』
『お、お前! 迷惑はかけないと思うって……、うちが喫茶店だって忘れてんじゃないか!』
『そこを曲げて頼む。別に店に出せといっているわけじゃない。犬を預かるくらい自宅の方でできるだろう。今回どうしてもこいつをドイツに連れて帰ることが出来ないんだ。頼む。こんなこと頼めるのはお前しかいないんだ。別にずっとってわけでもないし、こっちのカタがついたらかならず迎えにくるから!!』
土下座せんばかりの勢いに呑まれたというか、ほとんどなし崩し的に押し付けられたといったほうが正しいのだろうが。波児とて動物は嫌いな方じゃない、それならばと承諾した彼は、実際確信犯だったのだろうにこやかな笑みを浮かべドイツへと帰ってゆく親友を空港で見送りながら少しだけ釈然としない気持ちが渦巻いた。
預かった蛮コリーは由緒正しい血統図をお持ちのおぼっちゃまだったらしい。慌ただしく親友が置いていった、ドギーバッグの中に愛犬の愛用品とともに書類ファイルのシートその中には予防注射の証明書と一緒に血統書も挟まれてあった。
祖父母共にショーでの称号を持ち、由緒正しい母犬とドイツチャンピオンの父犬との間に生まれた直子という晴れやかしい御身分で人でいえば貴族様ということになるのだろうか? 御本人(犬)も幾度かショーに出場あそばした経験があるようで、プライドが高い。
親友は訓練が出来ている迷惑も掛けない良い子だと言っていたが……。
確かにマナーはいい。無駄に吠えることも無ければ、散歩時の引っぱり癖もない。
ギャラリーがいれば。
とにかくこの犬…、外面が激し過ぎる。あげくに好き嫌いが激しく、若い女性には腹まで見せるが、ヤローには尻尾ひと振りしゃしねえ。
どこが優しくていい子だ。めっちゃ気分屋の我が侭犬じゃねえか。短い間で振り回され
続けた波児は数日ですでに何年もこの犬を飼っている気満載になっていた。
店に犬を出す気はなかった。が、注目を集めることが何より大好きなこの犬は勝手に自宅へ続く奥のドアを押し開けて店で愛嬌を振るい始めたことから、な〜んとなく波児も看板犬にするようになった。ありがたいことに苦情をいってくる客がいなかったし、実際犬目当てで訪れる女性客が増えた。女性が増えるともれなく……。
商売繁昌ササ持ってこいだ。
それから程なくして、後輩が脳天気そうなゴールデンレトリバーの男の子を連れてやってきた。鳶色の瞳をくりくりさせて、黄金色の獣毛がキラキラと太陽のように輝いていた。
世界中を仕事のフィールドにしている後輩は留守が多い。今度の仕事は長期戦らしく、ようは『頼みます! うちの子しばらく預かってください。人見知りしなし、明るいし、ごはんはいっぱい食べますけどとにかくいい子ですから。仕事終わったらかならず迎えにきますからお願いします! 先輩しかいないんです』
お前もか……。と、波児は深いため息を吐き出した。
彼の名前は銀次というらしい。
先住犬の蛮とは正反対の超がつくほどのポジティブタイプで、物事にこだわりが無い。かなりお人好しのタイプと言えるだろう。後輩の青年が、仕事の企画で収容犬の悲惨さを訴える取材の為訪れた処分所で嬉しそうに尻尾を振って寄ってきたゴールデンを突き放すことができなかった。
以前の飼い主と似ていたのだろうか、後輩から離れようとしない犬を結局収容所から、自分の犬だと偽って連れ出してきたのだと、後輩がやるせなさそうに呟いていた。
一度でも人に裏切られていた小さな命達は、もう一度人を信頼するには並み大抵の努力ではすまない。それはこの後に心無い人によって傷つけられた虐待犬が常連客のヘルプで波児の元へ運び入れられたことからもわかる。
小さな彼女はアーモンドの瞳を絶望に歪ませて、全ての人の手を拒んだ。それに焦らず急がずで時間をかけて再び人との信頼を結んでやる。
短くはない時間をかけて、ようやっとレナと名付けられたスピッツ犬は近頃笑顔や甘えを見せるようになった。
ある意味悲惨な過去をもってもまだ人を信頼していられた銀次のような犬は稀なのだ。
二度あることは三度あるのか、すっかり犬が定着してしまった。
まるでドッグカフェになるべき運命だったように。
目一杯安心した顔で、眠る彼等を眺めてはふっと口元を緩めた。預かっただけの犬だったはずが、引き離せない程の大切なパートナーとなっている。
困らせられることもあるが、それでも大切な家族。
親友や後輩らが迎えに来た時、果たして笑って返してやれることができるのかちょっぴりだけ、波児は………。
大きく伸びながら寝返りをうつ。楽しい夢でもみているのか犬達の尻尾がふるふると楽しげに揺れていた。
コメント:なんとなく犬の話を書いてみたいと思いました。モデルは我家のワンコどもです。オフで一応続き? の作品出すつもりです。焔くんがイラスト描いてくれるというしね。ちなみに蛮コリーのオーナーはパパ、銀レバーのオーナーは天使峰さんだってわかりました?
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