峠を登りきり、山をぐるりとまいて下り坂になる。 山道は右へ左へと大きな蛇行を描きながら、山間の町、時渡町へと向っていた。 窓から、外の景色を見ていた銀次は、一番に目に飛び込んできた奇観に驚きの声をあげたのだった。 「うわ〜、蛮ちゃん。あれ、すごいねぇ。どうやって出来たんだろう?」 「さあな。大方、地震辺りの所為だろう」 視線は前を向いたままであったが、銀次が何を指して言っているのかは、正確に把握している蛮である。 時渡町は山間の町にしては発展している町だ。それは、それなりの数の観光客が訪れる為だった。その為に、町へと至る道もそれなりには整備されている。 観光の売りは、町の奇観である。切り立った崖が盆地の中央辺りに残されている。まるでアメリカのグランドキャニオンの一部を切り取って持って来たかのようだ。尤も、あっちは岩が中心で、植物なんて余りお目にかからない。対してこちらにはところどころに緑がこんもりとした茂みを作っている。 高さはいかほどあるのだろうか。町の何処からでもランドマークよろしく眼に入るのだ。 「ふうん。あ、あんなところにデッカイ木が生えてる。天辺のところ。あれ、何の木かな?」 「さあな。近くに行けりゃあ分かるかもしんねぇが、流石にこんなに遠くちゃ、無理だな」 「そっか‥‥」 2人を乗せたてんとう虫は、ひたすら目的地を目指して走っていた。
時は少し戻る。 2日前の事だ。 HONKY TONKに1人の若い女性が訪れた。彼女は手に、蛮たちが作った手書きのビラを握り締めていた。 彼女は、梨川緑と名乗った。そして、少し躊躇いがちに、『本当に、何でも奪り還えせるの?』と聞いてきたのだった。 「ああ、それが間違いなく奪われた物だって、言うんならな」 蛮の力強い言葉に安心したように、彼女は事情を語りだしたのだった。
「私が、異変に気付いたのは、ほんの2,3日前の事なんです」 「異変?」 「はい。私の家は神社なんです。それも先祖代々。今は私の父が神主をしています。その前は祖父でした」 彼女の語る事情はこうだった。 もうすぐ秋の豊穣祭が、梨川神社で執り行われる。その際に、代々梨川の家で保管している宝玉が、一般に開帳されるのだ。その宝玉は言いかえれば町自体の宝であって、その宝玉が梨川神社にあれば、町を豊かにする力があると信じられているのだ。 その宝玉が何者かに盗まれたらしかった。 彼女は、その宝玉を盗んだのが何者かは分からないが、祭りまでには何とかしなければと藁にも縋る思いで、宝玉の写真を手に、新宿までやって来たのだった。そして、手を尽くして、分かる限りの宝石商に問い合わせ、加工工場にも問い合わせた。それ以外には、人工宝石、ガラス細工などの加工工場にも足を運んだ。せめて、本物が見つから無い場合には、レプリカが作れないかと思ったのだ。 しかし、何処へ行っても良い返事は聞かれなかったのだ。 写真と、彼女のこれくらいの大きさ、という程度の曖昧さでは本物そっくりなど到底不可能な話なのだ。 落胆した彼女の目に風に飛ばされて来た、一枚のビラが映ったのだ。何気に拾い、見てみて、そのままここまで来た、という話だった。 「盗まれた、って言うんなら、警察へは?」 「届けていません。町の人には知らせたくないんです。父も知りません。あの宝玉を祭る際には『女人の手で』という決まりがあるのです。ですから、無くなっている事を知っているのは、今のところ私だけです」 「男が触れると「たたる」とか?」 「いえ、特にそういう事があったという記録は無かった筈です」 「ふ〜ん。縁起は?」 「えっと、私の家の祖先が、山の中で拾った、とか。眉唾かしら‥‥」 彼女は困ったように微笑んだ。
「ええと、私どもの神社の祀る神様というのがですね、あの土地の神話に由来するのです」 ──昔昔、常盤(トキワ)の地には悪しき神が住んでおりました。人々は悪さをする神にほとほと困っておりました。 そうした人々の願いが、天におわします神に届いたのでしょうか? ある時、その身に大蛇(オロチ)を纏った神がこの地を訪れました。その神は、雷(イカズチ)の力で持って悪しき神を打ち倒しました。 悪しき神は、心を入れ替え、この地を守ると誓い、その身を大きな木に変えて、地に根を張りました。 この常盤の地から他の地へ神は離れる事が無い、というので、何時しかこの地を『常盤他離(トキワタリ)』と呼ぶようになったのでした──
「うちの神社は悪しき神を倒した神を祀っているのです」 「ま、良くある神話縁起だな」 「ば、蛮ちゃん‥‥」 「で、依頼の内容は町の連中に知られずにその豊穣祭までにその宝玉を奪り還す、って事でいいのか?」 「はい。そうです」 「写真、持って来てるつったよな。見せてもらえるか?」 「あ、はい。これです」 蛮は緑から写真を受け取った。それを横から銀次が覗き込む。 「うわあ、きれーな石」 「ああ。波児、ちっとこれ見てくんねぇか?」 蛮は写真をもったまま、カウンター越しになにやら波児と遣り取りしだした。 ぼーっと蛮の様子を見ていた銀次だったが、ふと向かいの席を見れば、緑も不安そうな顔で同じ様に蛮を見ていたのだった。 「安心して良いよ」 「え?」 「緑さん、だっけ。蛮ちゃん、この依頼に乗り気だから。だから安心して良いよ。絶対に奪り還せるから」 にこりと人懐っこい笑顔を向け、そう言いきる。 彼女はそんな銀次に釣られたように笑顔を浮かべた。 (ふわぁ、名前どおりの人だなぁ‥‥) 素直に銀次はそう思った。初夏の新緑を思わせる、どこか清清しい笑顔だ。 神社の娘というのも関係しているのかもしれない。血筋、生まれつき。そういう感じのものだ。 「なぁ〜に和んでんだか、このひよこ頭は」 ごつんと拳固を一つ落として、蛮はボックス席のシートに収まった。 「取り敢えず、これは返しておく。あと、何か分かった事があったら、このNo.に連絡を入れてくれ。思い出したことでもかまわねぇから。こっちも進展があれば随時連絡する。電話に、家人や、他人が出る可能性は?」 「母屋にかかってきた電話は殆どが私が応対しています。ですから、大丈夫かと思います」 「了解。じゃ、この依頼、確かに「Get Backers」が引き受けた」 「本当ですか。ありがとうございます。あ、あとこれも実は秘密なんですが、一応お2人には話しておきますね。この写真の宝玉は実はレプリカなんです。ですから、見つからなければ同じものが作れないかと思ったんですが、どうも難しいらしいんです」 「ふうん。ま、そんな事はこっちの仕事には直接かかわりはねぇな」 「うん。奪り還すのが、この写真の石なんでしょ? それが本物かニセモノかは関係ないよ」 2人の言葉に緑は心底安心した笑顔を見せた。 「その、写真に写ってるものを奪り還すのが俺らの仕事。ニセモンだからって詮索する気はねえし、『それ』が重要なんだろ?」 「はい。どうしてもこの宝玉が、必要なんです。ニセモノだってことは重要じゃないです」 「だろ?」 「では、改めてよろしくお願いします」 そう言って彼女は何度も頭を深く下げたのだった。
そして昨日の夕方のことだ。奪還屋の美堂蛮と名乗った人物から電話が入ったのだ。彼に言ったとおり、母屋にかかる電話は彼女が殆ど応対している。だから、今回も彼女が出たのだった。 「はい、梨川でございます」 「‥‥緑さん? 美堂だ」 「はい。何か、分かりましたか?」 「それの確認の為、明日、そちらへ向う。誰か他の人が在宅なら、何処か話の出来る場所へ移動できるが、大丈夫か?」 電話越しの蛮の声は平坦で事務的だった。 「はい。明日は幸い私一人です。何時御出でいただいても大丈夫です」 「じゃ、場所が近くなったら一度電話を入れる。後、これから言うNoに近所の簡単な地図を書いてFAXして欲しい。可能か?」 「はい、すぐに送ります」 「頼む。では、詳しい事は、明日、会ってからだ」 あくまでも事務的な声で話は終わった。会った時にはそういう人物には見えなかったのだが、実は彼は電話で話すのが苦手なのだろうか? 緑はそう考えてくすりと笑みを零した。 まだ、何一つ解決してもいないのに、糸口さえ見つかっていないのに、彼等なら絶対に奪り還してくれる。そんな安心感がいつの間にか生まれていたらしい。 それは不思議な感覚だった。
町を囲む山を下り、市街地に入ると町の中央に向って緩やかな上り坂になっている。普通、中心に向って下って行くものなのだがその点からも、この地はもともと山があったのだと伺わせるものだ。 「地図だと‥‥、この辺のはずだが‥」 「んーと、あ、あそこだ。緑さんが居る」 助手席から周囲を見回していた銀次が道路わきでキョロキョロとしている彼女をいち早く見つけ蛮へと教える。そして、自分は窓を開け、半分以上身を乗り出すようにしてから、大声で彼女の名を叫んでいた。 「み〜ど〜り〜さ〜ん!」 銀次の声に気付いた彼女は車に向って大きく手を振り返してきた。 「遠路はるばるようこそ。この先に駐車場がありますので、お車はそちらへどうぞ」 「おう」 ガランと空いた駐車場の一角に蛮はてんとう虫を止めた。駐車場から建物へと続く歩道の入り口に彼女は待っていた。その彼女と合流して歩道を歩いた。 鳥居を潜り、拝殿の脇を抜け、その奥にある母屋へと向った。大きな家だった。歴史という時間の重みを持った家。新宿の中ではこんな家には滅多にお目にかかれなくなった。 緑は2人を応接間に通すと、お茶をお持ちしますね、と言って席を外したのだった。 家の外観とは違い、使いやすさを考慮したのだろう、ここは洋風の部屋だった。 「どうだ? 銀次」 「ん〜〜、大丈夫みたい。盗聴器の類は今のとこ、感知できないよ」 「そっか。一応念の為だったんだが。ま、用心に越した事はないからな」 ほっと息をつくと蛮はソファに腰を降ろした。 緑から聞いた話からは、盗んだ手口がイヤに手馴れた感じがしたのだ。家人に気付かれずに事を起こすには、その家の動向を知るのが手っ取り早い。その手段の最たるものが盗聴だ。だからこそ蛮は盗聴器が仕掛けられていないかと危惧していたのだ。が、どうやらそれほど手馴れた相手では無いらしい。と言う事は、只のラッキーだったと言う事だ。 相手が、絞り込んだ人物であるのなら、裏との繋がりは無い。しかも、何処かへ売られてしまうという危険性も少なくなる。秘密裏に解決する事も無理じゃなくなるわけだ。 奪還の仕事は、ある意味、力技だ。強引に事を進めるのだから。だからこそ、相手が裏に繋がっているかどうかは、重要な点なのだ。
コメント:実はこの話、「まめはむなすび」の管理人の竹林さんが描いたマンガが元です。本人に内緒で書きました。(いや、後でちゃんと報告しましたよ。こちらでのUP許可も取ってありますし)だから、とっても変なところで終わってます。マンガの方はちゃんとこの先もありますよ。続きを書くかどうかは微妙です。一応書いてもいいという返事は貰っていますが、読みたいって方が多ければかくかも。そんな感じですね。焔。
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