「月が嘲(わら)う」
ふと見上げた空に、ぽっかりと赤い満月が嘲う
「う‥‥んっ‥‥」
毛布を握り締める手が汗ばんでいて、眉間に刻まれた深いシワが、ひどく苦しそうで。
銀次は意を決して蛮を揺り動かしていた。
「蛮ちゃん!
蛮ちゃん! 起きて! 大丈夫? ねぇ」
「う‥‥、あ?
‥‥銀?」
「うん、オレ。大丈夫?
うなされてたよ?」
いきなり呼び起こされた意識は直ぐには正しく働かないらしく、蛮は幼い表情でぼんやりと銀次を見返した。
「怖い夢でも見たの?」
静かに問い掛けると、ふるふると首を振って応えてきた。
「わかん‥ない‥、怖い‥のか‥どうか‥。覚えて‥ない‥。でも、起こしてくれて、サンキュー‥な」
幼い口調で語られる、素直な言葉。
そのまま、にっこりと透明な笑みをうかべ、蛮は再び瞳を閉じた。
直ぐにすうすうと穏やかな寝息がこぼれてきて、今度の眠りが安らかなものだと、銀次に教えてくれた。
最近、蛮はよくうなされている。
何か原因があるのだろうけれど、覚らせるような蛮じゃない。
だから銀次は必死に考える。
ほんの小さな蛮のサインを見逃さないように。
いつもとの違い。
そう考えて気付く。
(そういやぁ、ここんとこ夜寝るのに、てんとう虫君を蛮ちゃんは公園に停めないや)
何かあるのだろう。公園じゃダメな理由が。
薄暗い路地のてんとう虫のナビシートで銀次は滅多にないほど頭をフル回転させていた。
赤い満月が、嘲う、嘲う
色の無い、ビル街の中の、人混みの中を、女と手を繋いで歩く。
何故か空は朱くて白い月が、穴のようにぽっかりと浮いている。
街を歩く人の顔は、皆一様にノッペリとしていて、表情が無い。
色も‥‥、無い。
俺の手をひく女も、色は無いが、口元に張り付いた笑みだけは、何故か鮮明に見えた。
「うっ‥‥ンッ、くっ‥‥‥っ」
微かうめき声に刺激され、覚醒したばかりの意識はぼんやりとしたままで。
「あ‥‥、ンッ‥‥っ」
「あっ、ば‥蛮ちゃん?」
直に耳に届いた目覚める原因となったそれに、オレは慌てて身を起こした。
運転席の蛮は苦しそうに身をよじる。
銀次の目には、まるで何かから逃れようとしているように見えた。
「蛮ちゃん!
蛮ちゃん! 起きて! 大丈夫?」
うなされる蛮を起こそうと、銀次はその肩を揺すりたてた。
「うあっ‥、やっ‥‥ヤダッ‥やめっ‥‥いやぁっ‥‥、あっ?」
蛮がか細く甲高い悲鳴をあげて、ぽっかりと目を開けた。
「蛮ちゃん?
起きた? 大丈夫?」
そっと覗き込めば、見開かれたままの瞳の焦点が銀次に向けられ、ホッとしたように蛮の表情が緩んだ。
「あ‥‥銀‥次‥、俺‥うなされて‥たか?」
「うん。大丈夫?」
「あ‥ああ‥、大‥丈夫」
カタカタと小さく震える身を見ていれば、とても大丈夫だなどとは思えない。けれど、それを指摘すれば、彼は固くなに殻に閉じこもるだけだ。
「最近よくうなされているけど、どうかしたの?」
だから、こう言う聞き方しか出来ない。
器用そうに見えて、その実不器用な彼は、他人が自分の内に立ち入る事を非常に怖れているらしい。それこそ固くなに。
これも2年過ぎて漸く解った事。
彼の内には、他人に話せない《秘密》がいっぱい詰まっている。
それは、とても重たく冷たいモノらしい。
時々蛮ちゃんは、その重さに潰されそうになるのだろう。けれど、そんな時にさえ、彼は他人に助けを求めない。
いや、助けてもらう、支えてもらう事で、その相手にもその重さをかけてしまう事を、先に心配するせいで、出来ないのだ。
彼の心根はとても優しい。
あの口調のせいで、正しい評価は少ないけれど。
そういう事を、感覚じゃなくて理解したのは最近の事。
優しいって事は、組んで初めての仕事で、知った。
それまでは冷たい人間かも、なんて思い始めてたから、コンビなんてやっていけるのか、心配になっていたんだっけ。
それが照れ隠しだと知れば、彼の本当の姿を見ることができるようになった。
大人びて見えていた彼が、オレと同じ子供っぽいところも有るって知って初めて《カッコイイ》だけじゃなく、《可愛い》って思ったんだ。
今でも蛮ちゃんは《カッコイイ》し《可愛い》。
かなり心を開いてくれたけど、そうしてみて気付いたのは、彼が瑕をいっぱい内に抱えた水晶のようだってこと。
硬く、とても脆い。何時壊れてしまうのか‥‥
彼の心が何時、均衡のタイトロープを踏み外すのか‥‥
心配で目が離せなくなった。いつの間にか、そうなってしまったんだ。
「ん‥‥、よく‥覚えて‥‥ねぇよ」
嘘だ! と、叫びたかった。
本当に覚えていないのなら、夢から醒めた今でも、そんなに震えるわけが無い。
「そう、なんだ」
「ああ、夢ってさ、見ても起きたら忘れたり、しねぇ?」
「うん、確かに殆ど覚えてないよね」
「だろ? だから、覚えて、ねぇよ」
「そっか」
そう言って安心したような笑顔を見せて、笑いかけると、蛮ちゃんもぎこちないけれど、笑みを浮かべて返してくれた。
(笑ってくれたから、今はいいや)
本当は、彼が隠している事、全部を知りたい。
教えて欲しい。
頼りなく思えるかもしれないけど、蛮ちゃんが背負っている《秘密》を共有して軽くしてあげるくらいは出来るのに。
けれど───
蛮ちゃんは、他人に背負った重荷をホンの少しでも、負わせたくは無いのだろう。
オレは、手伝ってあげたいのに‥‥‥
赤い満月が、嘲う、嘲う
嘲う、嘲う、嘲う、嘲う
滑稽なほど、運命に翻弄され、操り糸に手繰られる、2つの命を、嘲う、嘲う。
「月ってさ‥、なんであんなに赤くなるのかな」
「‥‥‥‥、さあな‥‥」
銀次の言葉に蛮はおざなりな返答を返し、毛布を被ってシートの上で丸くなった。
銀次から見えるのは、彼の背中だけ。
これ以上踏み込まれたくない時の、蛮の拒絶の仕種。
銀次は大きく溜息を吐くと、自分も毛布を被りシートに背を預けた。
(やっぱり‥‥潰されそうに、見えちゃうよ‥‥)
細い身体で、必死に重い《秘密》を支える蛮。
頼りなげない、華奢とも見える身体つきだが、その内に抱える力はとても大きくて強い。
けれど、背負う重みはそれ以上なのだろう。
いつも彼は平気なフリをして、必死に《秘密》という重さに耐えているのだ。
赤い月が、未だ天高く、嘲っている。
『オレ』という、ほんのちっぽけな存在ですら、その目からは隠す事が出来ない。
だから‥‥‥‥
月は、未だに嘲っている
終り
コメント:
何か訳の分からない文章になってしまってすいません。しかもまとまりが無いし。
書いてるうちに、自分でも何が書きたかったのか、わかんなくなってしまったモノです。
だから、余計に時間がかかってしまいました。(焔)
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