雪降る日





「っち、降ってきやがった」

蛮は忌々しそうに空を見上げた。


暗くなりかけたにびいろの空から、ポツリポツリと大粒の雨が落ちてくる。


隠れている箱の陰にますます縮こまり寒さを凌ぐ為、自分を抱きしめるように腕を廻す。

身体を動かせば、傷が開いてズキンとした痛みがぶり返す。

「くそっ、まだ血が止まってねぇか…」

蛮は新たな血を流し始めた傷を押さえた。




仕事は順調だった。

奪還品も問題なく手に入れ、後は依頼人が連れてきた見知らぬ運び屋に渡せば終わりだった。

それが油断を招いたらしい。あっという間に敵の追っ手に追いつかれてしまったのだ。

いや、そこへ行くように仕組まれていたのかもしれない。

が、その程度の敵はGB二人にとっては雑魚だ。数が多い分手間がかかるというだけで、遅れをとるような事はない。

一人の敵がやけくそで放った投げナイフが壁やら柱やらに弾かれて銀次に向かっていた。

銀次は目の前に出てきた敵しか気が向いていない。当然兆弾よろしくナイフが飛んでくるなんて予測もしていない事だろう。

蛮は咄嗟に自分の身体で銀次を弾き飛ばした。

ナイフは蛮の腹部を切り裂いて落ちた。いかな蛮でも崩れた体勢からはナイフを弾き落とす事は適わなかったのだ。

「ば、蛮ちゃん!」

「くそ、浅く切っただけだ。銀次は運び屋との合流点に行け! ココは俺が引き受ける。さっさと仕事を終わらせて来い!」

「ば……。判った! すぐ、すぐ戻るからね!」

依頼品は幸い銀次が持っている。

目の前の敵に雷帝フラッシュをかまし、目をくらませてその上を跳び越した。

蛮は銀次が敵の囲みを抜けた事をその気配から感じると、怪我を感じさせぬ動きで敵の半数を叩きのめすと、銀次とは別の方向へと走って行ったのだった。

敵を十分引き付け、銀次の気配が遠のいてから、なんとか巻いてこの路地に身を隠したのだった。


それから有に2時間ほど過ぎている。

銀次は無事に運び屋と合流した筈だろう。

それから、蛮を探しているのかもしれない。追っ手もまだ何人かはうろついていそうだし。

怪我は意外に深かったらしく、じわじわ流れる血が蛮から体力や集中力を奪ってゆく。

その状況に追い討ちのようにこの雨だ。

雨に濡れれば体温も奪われてゆく。既に蛮は身軽に動ける状態にはなかった。



「さびぃ……」

ポツリと呟く。

すっかりと濡れた衣服の上からさすっても少しも温まらない。

吐く息を吹きかけても指先が少し温まるくらい。白い息が恨めしい。

「見つけて、くれっかなぁ…」

蛮は雨の降る空を見上げた。






「降って来ちゃった。早く探さなきゃ」

銀次は路地を駆け続けていた。たまに蛮を追っていたらしい敵の残党に出くわすが数がばらけたそんなやつらは電撃であっさりと撃退した。

兎に角、蛮を早く見つけなければならないという使命感だけが銀次を急かしていた。

第一、蛮は怪我をしている筈だ。

浅い傷だと言っていたが、出血の感じから結構深く切れていることは、銀次には予測できる事だった。

あの場面でそれを言っても蛮は引かないし、余計な時間がかかるだけだ。

だから銀次は依頼の遂行を蛮に言われたとおりこなす方を選択した。

蛮は、仕事を終わらせて「来い」と言ったのだ。

だから、出来る限りの速度で仕事を終わらせ、戻ってきたのだ。

当たり前だが、蛮と分かれた地点に彼は居なかった。

とすれば、敵を巻いて分散させて身を潜めているはずだ。

そこが雨が当たらないような場所なら良いが、そうでないなら、この雨は怪我をした蛮にとっては致命的に成りかねない。

銀次は闇雲に走った。





「……はぁ……はぁ…。やべぇ、何かすげぇ、眠い……」

こんな状況で眠ったら、恐らく二度と目が覚めないことだろう。

朦朧としだした意識は定まらず、視線も曖昧だ。

自分の着ている服の色さえおかしく見える。

「俺、白い…服なんて…着てねぇ…よな?」

蛮の目に映る、自分のモスグリーンのコートは、表面がうっすらと白くなっていた。



雨は何時しか雪に変わっていた。


しんしんと音もなく、静かに降る雪。




蛮のいる場所も既に白い化粧をしだしていた。






「うわ、雪になっちゃった。蛮ちゃん! オレを呼んでよ〜。蛮ちゃ〜〜〜ん!!」

銀次は声の限り叫んだ。

刻々と過ぎる時間、周囲を白く染め上げる雪。

それらが恨めしい。






「…? 今の………、ぎん、じ?」

落ちかけた目蓋を必死に開き、固まった身体を動かそうとした。

けれど、凍えた身体は思い通りには動いてくれない。

「ぎん…じ…。ここ、だ」

蛮は叫んだ。

本人はそのつもりだろう。凍えた身体は大きな声など到底出してはくれないし、奪われた体温と体力も限界に近い。

声が出ただけでもましだったろう。

けれど、そこが限界だった。

目の前が、しっかりと目を開いている筈なのに、急速に暗くなってゆく。

「……ぎ…ん………じ……」

誰かが路地の入り口に見えた気がした。

けれどブラックアウトした蛮には既に見えてはいなかった。






「!!」

呼ばれた。確かに、呼んでくれた。

銀次は声が聞こえたと思う方向へと走った。

倉庫のような建物の間の細い路地。奥は箱が積まれて行き止まりになっているようだ。

入り口から見た限り、箱は路地の突き当たりの壁に沿って積まれている様に見える。

「ここ?」

路地を覗き込んだときにまた声がした。

間違いなく蛮の声。

銀次は路地を奥に向かって走った。


箱の陰、突き当りの壁との間にほんの少しの隙間があって、蛮はそこにいた。

身を縮め小さく丸くなるようにして、蹲っている。

濡れた服には雪が溶けずに積もっていて、蛮の体温が雨で奪われてしまっている事が判る。

「蛮ちゃん!」

銀次は蛮を抱きかかえた。

「冷た……」

凍えた蛮の身体は氷を抱きかかえたような気にさせる。

それでも、蛮は呼吸をしているし、心臓も拍動を止めてはいない。

しっかりと蛮を抱きかかえ、銀次は走り出した。










「…ん?…」

ぼんやりとした視界。

何だか良く見えない。

「あ、蛮ちゃん。気が付いた?」

ざーざーと雨のような音が聞こえる。けれど、それはさっきまでの冷たいものじゃなかった。

「ぎ……?」

「良かった、気が付いて。蛮ちゃん、凍えちゃっていたから暖めようと思ってさ。でも怪我が酷いから直接お湯には入れないほうがいいって波児さんが言うから…」

蛮はゆっくりと首を巡らせた。

視界がぼんやりとしていたのは湯気の所為らしい。

ユニットバスの中をどうもサウナのように空気を暖め、そこで蛮の冷え切った身体をマッサージして暖めたようだった。

「ここ、ホンキートンク…か?」

「うん。蛮ちゃんを見つけて、冷え切ってたから兎に角ココに運んできたんだ。怪我の手当てもしなきゃ…だったし」

腹の怪我には確かに手当てがしてあった。痛みの感じからすれば恐らく縫ってあるのだろう。

「よく、こんな処置できたな」

「たまたま、赤屍さんがいたから…」

不本意だったが赤屍は無償で蛮の怪我を診てくれたのだ。

尤も、彼にしてみればこんな事で蛮を死なせるには惜しいんだろう。本気の蛮と闘りあいたいというのが彼の望みの一つなのだから。

そのためなら、怪我の手当てなど安いものだと言って憚らない。

「もう、いいよ…」

蛮はそっと手をさする銀次の手を止めさせた。

「大丈夫? なら、ベッドに行こう。休まなきゃ」

「仕事は?」

「ちゃんとやったよ。さっき依頼人さんがきて奪還料も貰ったよ。まあ、半分は波児さんにツケの代金だって取られちゃったけどさ」

「なんだよ、それは。オーボーだぞ、あの親父は」

「仕方ないでしょ。その代わり蛮ちゃんの怪我が治るまではココで寝泊りOK貰ったよ」

この怪我でこの季節にスバルに寝泊りじゃ治るものも治らないだろう。

そっと抱きかかえてきた蛮をベッドにおろす。

部屋は先ほどのところよりは室温は低いが、十分な暖かさがあった。

蛮に服を着せ布団を掛けてやった。

「兎に角、マズは休んで回復ね。お腹、空いてない? 眠れないようなら波児さんにおじやでも作ってもらおうか?」

「んー、目が…醒めてからで…いい…」

既に目が上手く開かない

「じゃあ、ゆっくり寝てね」

目にかかっている髪をそっと払ってやり、銀次は部屋を出た。

蛮は既に穏やかな寝息を立てていたのだった。



その後、起きた蛮に食事をさせ、痛み止めと化膿止めの薬を飲ませ、傷のガーゼを換え包帯を巻きなおした。

蛮の方はその後また寝てしまったようだ。

夜に銀次が部屋に戻ったときも、彼は熟睡していた。

「昨夜のことなのに、あの仕事が随分昔の事に思えるよ」


怪我をした蛮と別れ、仕事を完遂するために走ったとき。

雪が降る中、冷え切って意識を失った蛮を見つけたとき。


心臓が締め付けられた。

本当に、あと1時間遅ければ、蛮の今ココにこうして穏やかに眠る姿を見ることは適わなくなっていただろう。

命とは、それほど簡単に失くすものだと知っている。

それは無限城での幼い日々に、身に染みている事実。

だからこそ、良かったと全てに心から感謝した。

蛮を失う事にならなくて、本当に、良かった。






穏やかな眠りの中にいる蛮の横にそっと潜り込む。

彼の体温に温められた布団は暖かだ。

「ん…」

冷たい空気に触れたからか、蛮が寝返りを打って銀次にぴったりとくっ付いてきた。

二人の間が空いていると寒く感じるからだろう。

銀次も手を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。



(あったかい。生きてて、良かった。間に合って、良かった)

抱きしめた腕の中の温もりに眠りを誘われ、何時しか銀次も眠っていたのだった。










終わり







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