「38.5℃……、熱、なかなか下がらないね…」 「…あ…げほっ…ま、…ごほっ、ごほっ…」 「咳が酷くなるから、無理に喋んないでよ、ね?」 銀次は蛮に布団をしっかりと掛け、肩の辺りから冷えないようにしっかりと押さえてやった。
甘い甘い×××
ことの発端は、看板娘2人からであった。 間も無くヴァレンタインデーだ。そのチョコを作るのだと和気藹々に作業をしていた。 それを、カウンターからぼんやりと見ている蛮と興味津々な銀次。 彼等を店に置いて、波児は奥の在庫倉庫の整理をしている。
そんな中、チョコを湯銭するためにお湯を汲んだボウルを持ったレナが慎重に歩いていた。 が、何も無いところで躓くのはお約束な彼女は案の定躓き、その手に持ったボウルは宙を飛び、狙いすました様に蛮の上に。 「うわ、あっちィ!」 熱湯では無かったものの、それなりに高温のお湯を蛮は頭から被る羽目になったのだった。 「きゃ〜、大変! 火傷しちゃう、冷やさなきゃ!」 夏実の叫びを忠実に実行したのは銀次だった。つまり、蛮の上から水を掛けたのだ。 「うわ、つ、つめてぇ!」 あまりもの冷たさに蛮は自分を抱きしめるように腕を回した。 「蛮ちゃん! 大丈夫?」 「大丈夫も何も、テメェが水かけたんだろ!」 蛮の声は寒さで震えていた。いかに店の中で暖房がかかっていようが、水を掛けられては寒くないわけがない。 「ったく、何の騒ぎだ? ………、蛮! 服も貸してやるから、上でシャワーでも浴びて来い! すぐに!」 一目見ただけで、状況を把握した波児さん。あんたはスゴイ。 波児の声に弾かれたように、蛮は奥へと走っていった。 「あ、蛮ちゃん、オレも…」 「銀次は床掃除! ほれ、さっさとやれ!」 蛮を追いかけようとした銀次の襟首を素早くひっとらえて、そう言い付けた。 夏実とレナも手伝い、水浸しになっていた床の水気を取り、後片付けをした。
これを合図にして蛮は次々と不幸に見舞われ、都合4回も銀次に水を掛けられる羽目になったのだった。
そして、その結果、案の定というか、当たり前だというか…。 蛮は風邪を引き、熱を出したというわけだった。
「どうだ? 熱は少しはさがったか?」 「全然。まだ高いままだよ」 「そうか、このまま下がらんようなら医者に行くしかないなぁ。とりあえず、しっかりと喰えるだけ喰えば、回復も早いと思うが。食えそうか?」 波児は手に持ったモノを軽く持ち上げて示した。 「ん、少しでも…喰う…」 がらがらに掠れた声で蛮が応え、銀次が身体を起こすのを手伝ってやった。 お盆に載った小さめの土鍋。中身はおじやだ。レンゲに掬い銀次は蛮の口元へ差し出した。 蛮も文句も言わず、素直に口に含んだ。自分で食べようとするのもだるいからだろう。 おそらく、茶碗一杯もないおじやの半分も食べずに、蛮は首を振っていらないと意思表示をした。 「もう? お腹一杯?」 「ん…」 「無理に食わせても吐いたら意味ないからな。ゆっくり寝かせてやれ。あとで薬持ってくるからな」 お盆を受け取り波児はそう言って部屋を出て行った。
夜になっても蛮の熱はあまり下がらず、明日も高いようなら医者に行こうと決めた。 「……、ぎん…」 「ん? 何? お水ほしいの?」 「ごめんな…。今年は、用意できねぇ…な」 「え? 何の用意……って、ヴァレンタインの? 明日だからかぁ。気にしないでよ。元はといえば蛮ちゃんが風邪引く原因を作ったのはオレだし…。ね?」 毎年、銀次は蛮からヴァレンタインのチョコを貰っていた。 それが、銀次が強請り、蛮が根負けをして買ってくれるというような状態であったとしてもだ。 「早く、風邪を治しちゃおうね」 「ん……」 銀次は蛮の髪を撫でてやった。
翌日、銀次は店のカウンターで大きな溜息を吐いていた。 蛮は、波児と共に病院に行っている。 「銀ちゃん、どうかしたの?」 「蛮さんが、心配ですか?」 「うん、それもあるんだけどね。蛮ちゃんが、ヴァレンタインの事、気にしてたからさ」 「ああ、いっつも銀ちゃんは蛮さんからチョコ貰ってましたもんねぇ」 しぶしぶといった感じではあったのに、気にしてくれるという事は、銀次にチョコをくれる事自体が嫌なのではないだろう。蛮の性格から察すれば、それは照れ隠しの様相の方が強いのだから。 「何も用意できないって、謝られちゃってさ…」 「あっ! だったら、名案がありますよ」 「何? レナちゃん」 「銀次さんが蛮さんにチョコをあげたら良いんですよ」 「え、でも、蛮ちゃん。あんまりチョコとか食べないし…。今、お金ないし…」 銀次はボソボソと言った。 はっきり言えば、蛮にチョコをあげたくないわけじゃない。けれど、貰ってくれるのか不安になるのだ。 「それなら、大丈夫ですよ。昨日使ったチョコの残りで、ホットチョコを作りましょう。病院から帰ってきた蛮さんに渡せば、身体もあったまるから丁度良いはずですよ」 「それ、オレにも作れるの?」 「はい。大丈夫です。作りましょう」
「まず、チョコを細かくします。包丁で切ってもいいですが、手で砕いてもかまいませんよ」 「う、うん。こう?」 銀次は渡された板チョコを細かく手で割り砕いた。 「鍋に牛乳と生クリームを入れて強火で暖めます。煮立たせないで良いですよ。そしたら、火を止めてチョコを入れてしっかりと溶かします」 鍋にチョコを入れ、ぎこちない手付きで掻き混ぜる。それでも、暖かい牛乳のお陰でチョコはあっさりと溶け、混ざってゆく。 「良い感じです。全部溶けたら、そこへコーヒーを入れます。カップに半分くらいかな」 「うん。入れたよ」 「じゃ、綺麗に掻き混ぜてください。後は蛮さんが戻ってきたら暖めてマグカップに注げばOKですよ」 「こんな感じかな…」 鍋の中には綺麗に混ざったチョコレート色の飲み物が出来上がっていた。 「綺麗に出来ましたね」 にっこり笑顔の夏実に銀次も笑顔を返した。
「只今」 カランカランとドアのベルを鳴らして、波児に連れられた蛮が帰ってきた。 「どうでした?」 「蛮ちゃん! お帰り、大丈夫?」 「お帰りなさい」 三者三様の声を掛け、じっと波児と蛮を見る3人。 「解熱剤の注射してきたから、夜には下がるだろう。ただの風邪だって話だ」 「良かった〜」 蛮は疲れているのかぐったりとしたまま静かだ。 「銀次、蛮を連れて行って寝かせてやってくれ。疲れているだろうからな」 「うん」 銀次は蛮を支えながら、奥へと入っていった。
「もうそろそろ持っていっても良いと思いますよ」 蛮が病院から帰って来てから1時間ほど過ぎた辺りで夏実が声を掛けてきた。 「そっかな…」 「なんだ?」 「銀次さんが蛮さんのために、ホットチョコレートを作ったんです」 「なる程…。これがそうか?」 波児は脇に置かれた鍋を指差した。 「うん。波児さんたちが病院に行ってる間に夏実ちゃんに教えてもらいながら作ったんだ」 「そっか。じゃ暖めて持っていってやれよ」 「うん」 銀次は鍋を火に掛けた。 「中火でゆっくり暖めてください」 「分かった」 掻き混ぜながらゆっくりと暖める。チョコの甘い香がほわんと広がった。 「カップにアーモンドエッセンスをたらしてっと、此処に注いで上にアーモンドスライスを載せれば完成です」 「此処に注いで…、コレを乗せて……、出来た!」 「暖かい内に持っていってあげてくださいね」 「うん、ありがとう」 銀次はマグカップを持っていそいそと奥へ消えていった。
「蛮ちゃん…、寝てる?」 そっとドアを開け中に声を掛ければ、蛮は起きていたらしくしっかりとした声が返ってきた。 「銀次? どうかしたのか?」 「ううん。今日、ヴァレンタインでしょ?」 「ああ、そうだな。ごめんな?」 「ううん、そうじゃなくて…。今回はオレが蛮ちゃんにチョコをあげることにしたんだ。貰ってくれる?」 そう言って銀次はホットチョコレートのカップを差し出した。 「チョコってコレ?」 「うん。ホットチョコレート。夏実ちゃんに教えてもらって、オレが作ったんだ」 「サンキュー」 蛮は身体を起こしてカップを受け取った。 そっと一口飲んで「あちっ」と小さく零した。 「大丈夫?」 「ん、甘すぎなくって、旨い」 「ホント? 上手に出来たか心配だったんだ」 笑顔の銀次を上目遣いに見上げて、蛮はそっと手招きする。 「? なに?」 「もっと、こっち」 銀次が身体を倒して蛮に顔を寄せると、蛮は素早く銀次にキスをした。 「ば、蛮ちゃん!」 「お礼。風邪うつしちゃまずいから、そんだけ、な?」 銀次の唇にはほんのりと甘いチョコの香が残っていた。 「えへ、何だかうれしいなぁ」 でれっとにやけ崩れた銀次の顔を、蛮も満更じゃない笑顔で見つめていたのだった。
コメント すいません。一日遅れましたがヴァレンタインです。 いつもは蛮が銀次にチョコをあげているんですが、今回は反対にしてみました。 お陰か、何と言うか…。いつも以上に甘甘な気がしないでもない。 如何でしたか?
オマケ
ホットチョコレート…レシピ チョコレート150〜200g 牛乳 500ml 生クリーム 100ml コーヒー(インスタントで可)大2 お湯(コーヒーを溶かす為)大4 アーモンドエッセンス、アーモンドスライス等はお好みで
本文中の作り方の材料です。ちなみに4人分です。
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