渇望






目が見えないまま、既に一ヶ月が過ぎた。

だんだんと暗闇に生活にも慣れてきた。と、言っても問題が無いのはマンションの室内とホンキートンクの店内くらいで、それ以外の場所では未だに非常な緊張を強いられる。

こうやって見えなくなってみて、サムライ君の凄さが実感できた。なんであいつは平然としてられるんだろう。

ざわざわとした街の喧騒にいらつく事もしょっちゅうで、その度に銀次が宥めるように抱きしめてくれた。

人の目の多い場所だとか関係なかった。

俺の中に巣食った『不安』という怪物は処構わず顔を覗かせ、俺を戸惑わせる。

自分の感情が上手くコントロール出来ない。こんな事、今まで生きてきた人生の中では初めての事だ。

「蛮ちゃん? 疲れた?」

「‥‥‥、少し‥な」

考え込んで押し黙ったままの俺に銀次の心配そうな声がかけられた。けれど、それを気遣ってやれるような余裕は既に、今の俺には無いのだ。

「部屋に、戻ろうか? 気分転換になるかなぁって思ったけど、あんまりならなかったみたい、だね」」

「わりぃ‥‥」

「蛮ちゃんが謝ることじゃないよ。見えないって事は大変な事だって波児さんも言ってた。オレだって、目を閉じてたら何にも出来ないもん。怖くってさ」

俺のイラつきの根源は今銀次が言ったように、恐怖なんだろうか?

何か、違う気がする。違和感が大きい。

確かに見えないことに対する恐怖も存在してはいる。けれど、住み着いた不安は別の根から生えている気がするのだ。

まだ、その根がどこにあるのか自分でもわかっちゃいないのだが。

それが、理解できたら、このイラついた感情の所以がわかるだろうか?

銀次に手を引かれ、俺たちは公園を後にした。




部屋に戻ってから、俺は寝室へと壁を伝いながら向かった。

「蛮ちゃん?」

「疲れたから、ちょっと寝る」

そう答え、そのまま寝室内に入った。

ベッドの上に置いたままの寝巻き代わりのスウェットに着替え、布団にもぐりこむ。朝起きてからどれ位の時間がたったのか、まだ昼じゃないから2時間か3時間ってとこだろう。

普通なら、眠気なんて起きやしないだろう。

だが、俺は目が見えないために神経が張り詰めた状態でいる所為だろう、本当に疲れて眠くなっていた。

目を開けた暗闇から、閉じた暗闇へ。

光が無いことは、どっちも変わらない。

直ぐに眠りは訪れた。




まとわりつく色の無い気配を必死に振り払う。

それらから逃げようと人気の無い街の中を全速力で俺は駆け抜ける。

逃げて逃げて、漸く振り払って俺は立ち止まって荒くなった息を整えることに集中する。

「どうしたの? 蛮ちゃん」

聞きなれた声がする。

「銀次!」

顔を上げれば、目の前に立っていた銀次が見えた。

「‥‥ぎ、ん‥じ?」

「何? 蛮ちゃん」

俺の前に立つ銀次には、顔が無かった。のっぺらぼうで、鼻も目も口も何もかもが無かったのだ。

「銀次? お前‥‥、本当に、銀次か?」

「ひどいなぁ、そんなにオレの顔、おかしい?」

おかしいって言うより顔なんて無いじゃないか。

そう言おうとして、俺ははっとした。

銀次の顔って‥‥、どんな顔だった? どんな表情だ?

ぞくり、と背が震えた。


忘れる筈なんかねぇ!


そう思ってみても、焦れば焦るほどに、銀次の顔が曖昧になってゆく。

鳶色の瞳だった。

でも、目の形は? 付いている位置。大きさ。たれている? つり上がっている?

分からない、判らない。

いつの間にか目の前にいた銀次はいなくなっていた。

「蛮ちゃん、酷いや。オレのことわかんなくなっちゃってるなんてさ」

声だけが聞こえる。

「銀次?」

「蛮ちゃんにとってオレって透明人間なの?」

「そんなこと無い!」

力いっぱい否定しても、むなしい気がする。思い出せない、銀次の顔や表情。

忘れてしまうことが、思い出せないことが、見れないことが、怖かった。

「ぎんじぃ‥‥、お前の顔が‥見たいよぉ‥‥」

そう呟いて、やっと俺はわかった。

心の中の「不安」が。

おれは、銀次を忘れてしまうのが、思い出せなくなることが、怖かったんだ。

(目が見えないことより‥、銀次の笑顔が見れないことのほうが、辛い)

今はじめて、切実に見えるようになりたいと、願ったのだった。




「蛮ちゃん、お昼だけど、起きれそう?」

銀次は寝室のドアを開けてそっと中に声をかけた。蛮が眠っていたとしたら起こしたくなかったから、自然声は抑えられる。

「?」

よく見れば、蛮はベッドの上で布団に包まったまま震えているようだ。

(熱が出たのかな?)

銀次はそっとベッドに近づき、覗き込む。

「蛮ちゃん?」

蛮は青い顔でがたがたと震えていた。その額に手を触れても熱があるような体温じゃなく、むしろ低いくらいに感じるものだった。

「寒いの?」

大きめの声をかければ、蛮は目を開け視線を彷徨わす。見えるわけではないことは瞳の焦点が合っていないことから直ぐ分かる。

「ここに居るよ?」

蛮の頬に触れ、前にしゃがみこめば、蛮は安心したような表情を浮かべ、銀次の服をしっかりと握り締めた。

(? 寂しかったのかな?)

「どうしたの? 蛮ちゃん」

静かに問えば、蛮の方は口を何度か開きかけた。言うことに何か躊躇いがあるような感じだ。

銀次は頬の手をそっとずらして蛮の髪を撫でた。そうして、焦らすことなく、促してやれば蛮は小さな声で呟いた。

「え?」

それが今まで考えないような意外なことで、銀次は目をぱちくりとさせて蛮を見つめ返す。

その銀次の驚きを、聞こえなかった所為だと思ったらしい蛮はもう少し大きな声で囁いた。

「銀次の‥顔が‥見たい、よぉ」

切実な響きのそれに銀次はぎゅっと蛮を抱きしめた。蛮の方もしがみつくようにして、銀次の肩に顔をうめる。

そこがじんわりとした熱さを伝えてきて、彼が泣いていることに気が付いた。

「大丈夫だよ。直ぐ、嫌ってくらいに見れるようになるよ」

弱みを見せてくれた彼が、喩えようも無く愛しくて、落ち着くまで髪を撫で、背中を撫でていた。




銀次が髪を撫でてくれる手が嬉しくて、俺はますますしがみついた。

(銀次はここに居る。透明人間じゃ、ない。ここに居る!)

自分に言い聞かせるように、繰り返し繰り返し、心の中でだけ呟いた。

「ぎ、っじの、顔、わ、笑っ、った、顔、見‥たいよぉ‥」

嗚咽交じりに何度も何度も訴えた。

そうしたって銀次が俺の目を、見えるように出来るわけじゃない。そんな事くらいちゃんと理解している。

でも、言い続けていなければ、このまま俺の心は壊れてしまっただろう。

銀次はそういうところはものすごく聡いから、直ぐに気づいたんだろう。俺が落ち着くまで、ずっと『直ぐ見れるようになって、飽きたって言うようになるよ』なんて言ってくれていた。

その銀次の、やさしさに甘えた。


「あ、あの〜、ば、蛮ちゃん。怪我はもう大丈夫なんだよね?」

「? ああ」

右手の骨折も、打って一部を切っていた頭の傷も、一月も経っていればすっかり治っている。目の麻痺以外は。

「あのさ〜、抱きたい。駄目かな〜?」

銀次の言葉を聞いて溢れていた涙がびっくりした所為か止まってしまった。いや、それはいいんだが。

「なに? 盛ったの?

からかうような音を持たせてそう聞けば、こくんと頷かれて返された。見えないから本来はそんな答えじゃはっきりしないんだが、今はくっついているからはっきりと頷いたことがわかる。銀次もそれで頷きで返したんんだろう。

「ん、いいぜ‥‥」

掠れた声でそっと返事を返した。

俺だって、銀次を感じたい。見えない分を埋めるくらいに。

抱きかかえられていた身体がそっと横にされる。きっと今の俺は不安そうな顔をしているんだろうな。そう思ったら、銀次が頬を撫でてくれた。

その手に擦り付けるように甘えると、なんだか安心できた。

「蛮ちゃん、今日はすご〜く、素直なんだね」

「わ、悪いかよ! お、俺様だって、甘えたいことぐらい‥ある」

勢いよく返した声は尻つぼみになってしまって、我ながらなんて分かりやすいんだと恥ずかしくなってしまった。

「悪くないよ。ごめんね、こんなに不安だったんだね。気づいてあげられなくて、さ」

「ぎ、銀次は悪くねぇだろ?」

「ううん、俺が悪いよ。見えないって事だけが怖いんだって勝手に思ってて、蛮ちゃんの本当の不安に気づいて上げられなかったんだもん」

「んじゃ、その埋め合わせするぐらい、思いっきり触れ合わせて、くれよ」

「うん」

寝巻き代わりのスウェットのすそから銀次の手が中に忍び込み胸を撫でる。

「ふぅ、‥んっ」

鼻に掛かった掠れた甘い声がもれた。

「蛮ちゃん‥‥手を、上に上げて?」

促されるままに従えば、するりと上を脱がされた。

「んっ、あ、‥‥っ」

ちゅっ、っと音を立てて胸の飾りにキスされてびくりと身体が震えた。

「寒い?」

「へ、平気、だ」

震えを寒さの所為かと問いかける銀次の吐息にすら感じてしまう。俺は一体、どうしたんだ。

「蛮ちゃん、ひょっとして、これだけで、感じてる?」

「んあっ! やっ、ぎんっっ」

指で飾りを摘まれ捏ねられて、ごまかしようも無い嬌声があがる。噛殺すこともできない。

銀次は感じて跳ねる俺の身体を面白がっているのか、しつこいくらいの愛撫をそこだけに集中して攻め立てた。

片方を指で捏ね、もう片方を口で啄ばみ、舌先でつつきまわす。

その熱は下半身に集まり、まだ触れられてもいない俺自身の形をゆっくりと変えさせてゆく。

けれど、胸だけじゃ決定的な刺激にはならず、感じすぎて苦しいだけだ。

「も、やめっ‥ぎんっ。そこ、ばっか‥や、だ‥‥」

「ごめんね、あんまり蛮ちゃんが感じてくれて可愛いもんだから、やりすぎちゃった。こっちも待ちわびてたんだ、ね」

ズボン越しに触れられて、一気にそこは硬く張り詰める。

俺は待ちわびていた刺激に、安堵にも似た満足げな吐息をこぼす。

ゆるゆるとした愛撫でも、今まで触られていなかったそこは喜び、蜜を滴らせ出し、布にしみを描く。

そうしていると足を抱えあげられ、下着ごとすべて脱がされた。

今の俺には、昼の明るさはない。

時間的に考えれば室内は日差しで何一つ隠せないほど明るい筈で、その明るさの中で俺は生まれたままの何も纏わぬ姿を銀次の前に晒しているはずだ。

銀次の目がじっと見ている。

「あんまり、見、見るな、よ。は、恥ずかしいだろ」

「蛮ちゃん、綺麗だよね。それに、かわいいし」

銀次は俺の上に覆いかぶさるように乗っかって来る。いつの間に脱いだのか、俺の肌に触れるのは奴の素肌の感触だ。

「あんまりかわいいんでいじめたくなっちゃうくらい‥」

するりと腰を撫でられ、ぴくりと震える。見えない分、銀次が何を仕掛けてくるのか予想できない。ほんの少し触れられるだけで、いちいち大きな反応を返してしまう。

そんな俺に銀次は小さく笑みをこぼした様だった。

「見えないから、余計に感じる? 他の感覚が鋭くなってるからかな」

「ふあっ、はっ‥んっ」

耳元でささやくように言われて、その吐息にすら感じてしまい嬌声を上げる。久しぶりに抱かれる所為か、身体だけが暴走をし始めていた。

ゆっくりとした愛撫にだんだんと追い詰められて、俺は銀次に縋り付いた。

「も、やっ‥。ぎ、ん‥じぃっ。ほしい‥」

「ホント、今日の蛮ちゃんはものすごく素直でかわいい」

囁き声にびくりと腰が揺れる。ねっとりとしたモノが入り口に触れた。

恐らく、俺のから零れた精を纏い付かせた銀次の指だ。そんなことを予測していたらソレがぐいっと中に押し入ってくる。

「ふ、うぁっ‥‥あっ、あっ、あっ‥」

息をついて小さな衝撃を逃がす。いつもならたいして気にもならない程度の痛み。ソレが見えない所為なのか結構大きな衝撃に感じられた。

でも、銀次がくれる痛みなんだから、そんなでも嬉しかった。

「ううっ、くっ‥んっっ」

「痛い? 蛮ちゃん」

「うっ、へ、平気‥‥。んあっ、あっ‥‥んんっ」

じわじわと奥へ奥へと入りこむ、ごつごつとした指の関節が感じられる。ソレが中をゆっくりとすりあげる。そんな些細なものすら俺から快感を引き出してゆく。

「ふ、あっ‥‥銀、次っ‥」

「感じる? ここは、どう?」

「ひぃっ、やあっんっ‥、ぎんっ、あああっ、やっ、だめっ、そこ、だ、めぇっ、ひぃあっ」

大きな快感の波に翻弄されて俺は身を捩った。涙がこぼれ、必死に銀次に縋る。

「ぎんっ、イきた、いっ‥、やっ、あっあっあっ‥やっ、ああーっ、イくっ! イっちゃ‥うっ、だ、だめぇーっ、も、やああっ!」

ぐいぐいと前立腺を中から刺激され、これ以上も無いくらい勃っていた俺自身は、解放に向かって駆け上った。

「イって、蛮ちゃん」

銀次は先端の穴を舌先で強くつついた。

「ひっ、やああ〜〜〜っ!!!!」

勢い良く吐き出される白い精処構わず飛び散り汚した。

「随分溜まってたんだね。仕方ないか、怪我してからご無沙汰だったもんね」

竿を扱き、全部搾り出す。ソレすら快感で萎えたモノが直ぐに硬さを取り戻してゆく。

「蛮ちゃん、元気だね」

くすりと笑みを含んだ銀次の声。それに恥ずかしさを覚えて、つい顔を背けてしまった。といっても、銀次がどこにいるのか朦朧とした意識と快感にだけ敏感になっている感覚だけでは把握することも出来やしない。

「後ろもだいぶ解れたし、痛みも無くなったみたいだし、いい? 蛮ちゃん」

「‥‥‥」

聞かれて俺はこくんと頷いた。

挿入時の痛みを気遣ってか、意識的に覚悟が出来るように銀次は毎回こうして確認してくる。

いつもは照れが先に来て睨むのだが、今日ばかりはありがたかった。

銀次が何を仕掛けてくるのか、全く分からない今はそれだけが手がかりだから。

足を抱えられ身体を折り曲げられる。

普段隠された場所が、顕になるように。そっと熱い塊が入り口に触れた。と思えば一気にそれが押し入ってきた。

「ひっ、あ、や、うあっ」

いつも以上の衝撃に俺は無意識に逃れようと身を捩ったらしい。それを銀次が押さえ込むように圧し掛かる。

「蛮ちゃん、もうちょっと我慢してね」

「やあっ、ううっ‥んっ、くううっ‥」

身体を引き裂くように奥を目指してそれは突き進んでくる。痛みよりも恐怖のほうが勝るかも知れない。

このまま引き裂かれそうで、怖い。その反面、銀次だから、と安心するような感じも沸き起こる。

相反した思いに俺自身、わけが分からなくなって、その分乱れた。

「きっつ‥、蛮ちゃん、蛮ちゃんっ、力、抜いて?」

「やああっ、は、っっく、む、りっ。わか、ん、ね‥‥、や、ぎん〜〜っ」

縋るように銀次にしがみついた。その後は、すっかり覚えていねぇ。




押し入ったそこは、いつも以上にきつく締め付けてきて、身動きも取れないほど。

「蛮ちゃんっ、力、抜いて?」

そう言えば、蛮ちゃんは頭を振り乱しながら「やああっ、は、っっく、む、りっ。わか、ん、ね‥‥、や、ぎん〜〜っ」叫び、オレの首にしがみついてきた。

いつも以上に感じてしまっているのだろうか、意識はすっかり朦朧としてしまっているようだった。

「蛮ちゃん、ごめんね?」

分かっていないだろう彼にそうあやまると、強引に抜き挿しを開始する。

「ひっ、ひいっ、やっ、やだぁっ、ぎんっ、やあっ!」

前立腺を強く擦りあげる様に狙ってやれば、蛮ちゃんは面白いくらいに跳ねた。

意識が朦朧としているときにだけ、蛮ちゃんは子供みたいに舌ったらずな口調になる。今もそう。こんなとき蛮ちゃんはすごく素直で可愛いんだ。

「ここが、感じるの?」

「うんっ、そこ、イイっ、ぎん〜っ。お、かしくなっちゃう、よぉ‥」

「いいよ。もっと感じて?」

ぐいぐいと突き上げてやれば段々ときつかった締め付けもなくなり、オレの突き上げるリズムにあわすように蛮ちゃんの腰が跳ねる。

「あっ、あっ、ふっ‥んっ‥あっ、あっ、あっ」

擦り付けるように腰を振る蛮ちゃんは快楽に素直にしたがっていて、甘い声を上げる。

いっぱい感じてほしくて、不安を打ち消してあげたくって、オレは何度も何度も蛮ちゃんを突き上げた。それこそ蛮ちゃんが耐え切れなくなって悲鳴を上げるまで許さずに。

「も、も〜、ムリ〜、こ、われる〜、し、死ぬ〜」

「大丈夫だよ、オレがいるよ」

「ひい、ん。も、駄目、や〜〜っ、ぎん〜、やだっ、助けっ」

しがみつく蛮ちゃんをしっかりと抱きしめて、抱えあげると下から思いっきり突き上げてやる。

「ひいっ、ひいっ、や〜〜〜っ」

背をのけぞらせ悲鳴を上げる蛮ちゃんの中は思いっきりオレを締め上げてきて、オレは彼の奥に精を解き放った。

「や〜〜っ、熱い〜っ、ひっ、あ、つい」

二人の腹の間を、蛮ちゃんの吐いた精が白く汚して流れ落ちた。

「はっ、ふう。蛮ちゃん、大丈夫?」

「も、駄目‥‥‥」

ぐったりとしたままの蛮ちゃんは呟くような小さな声でそう言うと、その身体から、力が抜けてくったりとした。

「ご、ごめんね? ムリしすぎちゃった」

聞こえてないけれど、謝ると、眠ってしまった蛮ちゃんをベッドに寝かせてやった。




着替えをさせて、熱が出てしまった額に冷やしたタオルを乗せ、頭の下にはアイスノンをいれてやる。

かなり辛かったのか、頭が冷やされたことが気持ちいいのか、蛮ちゃんはため息をついた。

「蛮ちゃん? 気が付いたの?」

声をかけても返事が無いところを見れば、意識が戻ったわけじゃないらしい。

気を失ったまま眠ってしまった蛮ちゃんの身体をタオルで拭い、きれいにして服を着せた。

そっと布団をかけてその場を離れて、遅くなったお昼を食べた。その後、蛮ちゃんの様子を見に来たときには、彼は熱を出してしまっていた。

「ごめんね、ムリさせすぎちゃったね」

髪を撫で呟けば、彼の長いまつげがふるりと震えた。その下から、隠れていた青紫の宝玉のような瞳が覗き、視線が彷徨う。

「蛮ちゃん?」

「‥‥‥、ぎ、ん‥?」

「ここにいるよ?」

そっと頬を撫でようと手を伸ばせば、蛮ちゃんはその手を掴んだ。

「え? 見えてるの?」

「ん‥ぼんや、り‥な」

予想外の、蛮ちゃんの言葉。

「どんな、感じ?」

「滲んだ、影に‥色が、ついて、る、感じ?」

見えるものを、そんな風に教えてくれた。

今までは光すら見えていなかったんだから、その急激な変化にオレは嬉しくて泣いてしまった。

「ぎん、じ。泣く、なって」

「だって、嬉しいよぉ」

「俺だって」

良く見れば蛮ちゃんも笑いながら泣いていた。

「もうちょっと、寝ててよ。ね?」

眠るように促せば、蛮ちゃんは小さく頷いて目を閉じた。

そっと頭を撫でてその場を後にする。波児さんに電話をしなきゃいけないんだけど、もうすこしこの感動をかみしめていたかった。








次の日は、視力はまた見えなくなっていた。

といっても今までとは違い、光は分かるし、影程度なら見える。もっとも、滲みすぎていてその影が何かまでは全くわからないが。

波児に付き添ってもらって、病院に行って検査、診察を受けた。

銀次はホンキートンクで留守番だ。

結果は良好で、見えたり見えなかったりを少々繰り返すが、だんだん見えるようになるだろうとの判断を聞かされた。

「見えなくなるって可能性はねぇの?」

医者に恐る恐るそう聞けば、あっさりと彼はそれを否定してくれた。

「今の状態を見た限りじゃ、その可能性はほとんど0に近いよ。今だって、光は知覚してりるんだからね」

「そっか」

「良かったな? 蛮」

波児の言葉に俺は素直に頷いていた。





嬉しい


こんなに見えるという事が嬉しいなんてはじめて思っただろう。

今までは、『こんな目、潰れてしまえば良かった』なんて思ってたのに、な。

「あそこの部屋は更新したばかりだから、契約切れるまでは住んでていいぞ。恐らく契約が切れる頃にはすっかり治ってるだろうからな」

「さんきゅー。波児」

「珍しく、素直だな」

「‥‥、それ、銀次にも言われたぜ? 笑えねぇ状況で、だけど」

「そ、それは‥‥。明日には雪が降るか?」

「この陽気にか? その方が笑えねぇ」

波児は俺と銀次の関係をうすうす感じ取っている。俺の言った言葉の裏まで読み取っての言葉遊びについつい笑みが浮かんだ。

「漸く、笑ったな」

「え?」

波児の意外な言葉に俺はきょとんとした顔で聞き返した。

「お前、気づいていなかったろうが、見えなくなってから、心の底から笑ってなかったろ? 顔は笑顔を作ってはいたが、自嘲の笑みばっかだったからな」

視神経を守るためにと、しばらく掛けていなかった濃い色ガラスのサングラスの奥で、俺は目を見張った。

波児には、俺の感情の流れが分かっていたのかと、思うと恥ずかしさで頬が火照る。

「銀次は、知ってるのか? お前の本心」

「ん‥‥、直接、訴えちまったから、知ってるだろ」

「そっか。それを受け止めてもらったのか」

こくりと頷く。波児は笑った。俺も笑顔を浮かべた。




こんなに、俺は見えることを、見ることを渇望している。


目を閉じて、次に目を開けた時

最初に、銀次の全開の、笑顔が見たい。




終わり





コメント:

何とか終りました。ラストあたりで嫌に時間を取られてしまい少々遅くなってしまいました。

まあ、ハッピーエンドってことで。Hは温いですが、今のところこれで精一杯なんですよ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。





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