銀次がホンキートンクに入り浸ってから、一週間が過ぎようとしている。

と、銀次がじっと見ていたたまごにほんの少しだけ、小さなひびがはいった。

「あ、ひびが、出来た」

「お、本当だ。もうすぐ孵るな」

「うわぁ、何がうまれるんでしょう?」

今日も閑古鳥の店内で、暇そうにしていたアルバイトの看板娘達もわくわくと瞳を輝かせて覗き込んでいる。

店内にいる皆の目が小さなたまごに集中していた。

小さなひびは、ゆっくりと大きなひびになり、そうして中から生まれたのは────


身長およそ15センチ。大きさを除けばほぼ18才の頃のままの蛮だ。

その彼が、素っ裸のままでカウンターの上で伸びをしている。

「‥‥‥‥‥」

「よ! 銀次。元気ねぇな?」

記憶にある蛮の声よりほんの少しだけ高く聞える声。それでも、間違いようの無い蛮の声だ。

「蛮‥ちゃん?」

「おう、なぁに、時化たツラしてんだ?」

唖然としたまま見入るしかなくて、一体何が起きたのか、未だに頭も感情も付いてきていない。

「きゃ〜、蛮さん。裸のまんまじゃないですか〜」

「ほんとです〜。え〜と、何か隠すもの、隠すもの」

多分に今の『きゃ〜』にはハートが付いていなかっただろうかと、嫌に冷静に考える自分もいて、漸く銀次は目の前の小さな蛮が、自分だけの妄想の産物じゃない事を理解したのだった。

「とりあえず、これ使ってください」

夏実が差し出したのは小さな布キレだった。たまごに敷いていたクッションと同じ柄だからそのハギレだろう。

「ありがとう」

受け取ったハギレで蛮を包み込み、何とか見栄えを整えた。

「今度は何か着られそうな服を見繕ってきますね」

「私も、探してみます。お人形の服だけど‥」

「二人ともありがとう。お願いします。‥‥で、蛮ちゃん。一体、どういうこと?」

銀次はカウンターに顎を乗せ小さな蛮に目の高さをあわせた。

「‥‥‥、銀次。一度しかいわねぇから、よく聴けよ?」

「え? あ、うん」

銀次は小さな蛮に気圧されたように、神妙な顔で顎を引いた。

「まず、この『俺様』は、銀次、お前の記憶から形作られたモノだ。だから、基本的にお前が覚えていない事は、俺も知らない。そして、俺がこうしていられる時間は一週間だ。一週間が経てば俺という存在は消える。というか、たまごに戻る。再びたまごを孵せば俺は現れるが、たまごを孵すために必要な時間も、最低一週間だ。こうして、ここに居る俺は、新たな記憶を作る事は無い。お前の中の記憶が、本来の俺のモノで無くなれば俺はたまごのまま孵らなくなる。

──銀次。哀しい思い出はさっさと忘れて、楽しかった事だけ、覚えていろよ──

これが本来の俺の願いだ。そして、今迄話したこと全ては、次に孵った時には全て覚えていない記憶になる。初めて孵った時にだけ再生するように予めセットされていた事だからだ。これが‥‥、俺がお前に残してやれる、精一杯だ。今はまだ無理でもいい。でも、いつかちゃんと自分の幸せを探せよ。俺の分までも。そして、自分の足でちゃんと立て。俺の死は、決してお前の所為じゃねぇ。俺は、十分幸せだった。本当だぞ。嘘じゃねぇからな? 忘れるなよ?」

「う、うん。‥‥忘れない。絶対に」

ぽろぽろと涙が頬を伝って落ちる。

こんな、オレと居て、沢山の疵を負って、そして、急ぎ足で19年という生を駆けて逝った。

それなのに、幸せだったって言ってくれるんだ。


彼は優しかった。

彼は、潔かった。

彼は口が悪かった。

彼は、誤解されやすかった。

彼は、どんな状況だって簡単に諦めたりはしなかった。


オレは、どんな蛮ちゃんだって、大好きだった。




「おい、泣くなよ。なっさけねぇツラしてさぁ」

小さな蛮ちゃんが、オレの頬に手を付いて、零れた涙を拭う。小さな手を精一杯伸ばして。

「うん。そう、だね。蛮ちゃんは、いつもそう言ってたね」

オレの、記憶のかけら。この小さな蛮ちゃんは、たった一週間という存在でしかない。

その間、ずっと泣き顔しか見せられないのは、情けなさすぎる気がする。

「笑ってろよ。おめぇは、よ」

「うん、‥‥笑ってるよ‥‥‥。蛮、ちゃん」








一週間なんて、あっという間だった。

蛮ちゃんといた頃は、曜日なんて気にもしたこと無かったのに、一週間なんて、意識したことも無かったのに。こんなに短いものだなんて、初めて気が付いた。

小さな彼は、『オヤスミ、じゃあな』といって、身体を丸めて横になった。

その姿が溶けるように消え、代わりに青いたまごがあらわれる。

再びこのたまごが孵るのは、早くて一週間後。

次に会う時には、もっと笑えるはずだから。

オレは自分にそう誓って、蛮ちゃんのたまごをそっと籠の中に置いた。


何時の日にか、このたまごから小さな蛮ちゃんは生まれなくなる。確実にその日は来る。

けれど、今はまだ無理。

オレは小さくっても、やっぱり蛮ちゃんに会いたいんだ。

まだまだ寄りかかって頼ってる。自覚はあるんだ。

でも、早く一週間が経たないかなって思ってる。

会いたいよ‥‥‥、蛮ちゃん。





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