銀色の自転車 12


「9月10日ね? いいわよ。‥‥ええ、‥‥じゃあ」

卑弥呼は電話を切った。

 

兄といた頃に憧れた、普通の暮らし。

裏家業で生きてきた事、今もそれを生活の糧としている事、それ自体には何の後悔も無い。

けれど、幼かったあの頃、同じ年頃の子供達が家族や友人と楽しむ行楽(イベント )。

そういうものがある生活に憧れていたのも事実だった。

そして、あの頃かなわなかったそれらが、今になって降って沸いたように当たり前に存在しだしている。今回の計画だってそうだ。

まぁ、それに不満があるはずも無い。

 

「‥‥なんか、こういう約束って‥‥、すご〜く久しぶりな事じゃない?」

独白はずいぶんと浮かれた声で自分の耳に届いた。

仕事じゃない、約束。

なんだか、うずうずするような、ワクワクするような、くすぐったいような、不思議な感覚。

少し前までの自分には考えられない事だ。

「サイクリングかあ‥。自転車なんてもう何年乗ってないんだろう?」

───まだ、兄と蛮と共に暮らしていた頃に漸く乗れるようになったんだっけ───

思い出の中の兄は、いつもの笑顔で笑っていた。

 

 

 

蛮はいつも拗ねたように戸口に立っていて、卑弥呼と邪馬人の二人を見ていた。

生活する事が第一で、余暇なんて持て余すほどありはしない、その日暮らしに近い裏家業の稼ぎ。

蛮が加わる前と後では格段に稼ぎはあがったけれど、経費に何かとお金は飛んでゆく。

そんな状態だったけどやりくりして、兄はピンクの子供用の自転車を買ってくれた。

そして暇を見つけては乗り方を教えてくれ、練習にも付き合ってくれた。

世間一般に比べれば少々遅いくらいだったかもしれないが、卑弥呼はきちんと自転車に乗れるようになったのだった。

「そういえば、蛮はあの頃には自転車に触ろうともしなかったわね」

兄は彼にも教えてやるぞと声をかけていたはずだ。それを蛮は頑なに拒んでいたのだ。

(あれは、ひょっとして転ぶのを見られるのが恥ずかしかったからかしら? それとも、ただ単にピンクの自転車だって事が嫌だったのかしら?)

彼がその時に何を考え、思っていたのかは当人にしかわからないことだ。

勿論、兄との間に本当は何があったのかも。

なんだか、思考がどんどん暗くなってしまい、卑弥呼は頭を振って暗い思考を振り払った。

「さてと、どうせ今は自転車なんか持ってないし、今日の予定を変更して、街の中をぶらついてみましょ‥‥っと」

朝のうちにヘヴンから連絡が入ったことはラッキーだったかも知れない。

この後はしばらく仕事のスケジュールが立て込んでしまっている

遠方で時間のかかるものまで入っているとなれば、ゆっくりショッピングなんて時間が取れるか怪しくなるからだ。

本当は、今日は部屋でのんびりしつつ片付けや整理かなと、考えていたけれど片付けは別の日に少しずつでも可能だが買い物はまとまった時間がなければ無理な事だ。

卑弥呼は着替えを済ませると外へと出て行った。




ゆったりと歩きながら、ウインドーを覗き込み、いい品がないか物色してゆく。

休日の過ごし方としては、悪くないなと思う。

天気もいいし、風も気持ちいい。気温は高くて汗はかくけれど、風にはかすかに秋の気配もまざっている。

そうして歩いていたら、目の角に夕焼けが飛び込んできた。

あまりにも鮮やかな赤に心を引かれ、足を止めた。

卑弥呼の目に飛び込んだ赤は、ディスプレイされたスポーツタイプの自転車のボディカラーだった。

背景にと飾られたパネル写真にはさまざまなシーンが散りばめられていて、自転車の魅力を最大限に引き出す様に工夫されていた。

男女のカップルをイメージしたものだろう、色と大きさの異なる2台の自転車とそれぞれの横に立つ男女のマネキンからそれが判る。

男性側は深い森のようなグリーンがベースだ。マネキンの着ているウェアもそれと同色系で纏められていた。

女性の方は、鮮やかな赤だった。それも、夕焼けのような、燃える赤。

「きれーな、赤色‥‥‥」

自分の口から、思わず零れた感想に、卑弥呼ははっとした。

(何? 何で?)

今まで『赤』という色自体が『血』を連想させてしまい、あまり好きではなかった。あの、床一面にぶちまけられた『赤』を思い出すからだ。

けれど、嫌いだと忘れてしまうのも、蛮に忘れられてしまうのも癪だからと、わざと赤い服を選んで着ていた。

それなのに、この赤は何か違う気がするのだ。

じっと自転車を見つめていると、ふと脳裏に兄の笑った顔が浮かんだ。

「‥‥‥何なのよ‥‥兄貴‥」

この自転車に何があるというのだろう。特に兄との思い出を刺激するところがあるとは思えない。

それなのに、自転車を見ていると思い浮かぶのだ。自分が初めて自転車に乗れるようになった時に浮かべた兄の笑顔が。


卑弥呼は立ち尽くしたまま、暫くその自転車を見つめていた。







部屋に戻ってから、ベッドの上で買ってきた物を広げた。

赤をベースに金のラインと黒のラインの切込みが入ったスポーツウェアと同じデザインのスパッツ。

同色系のシューズ。指抜きの柔らかな皮製のグローブ。

そして、本日最大の買い物になった(大きさでも、金額でも)自転車は明日届くことになっている。

「こういうのって、衝動買いっていうのかな」

苦笑を浮かべながらウェアを持ち上げた。

ディスプレイされていた商品とほとんどそのままの品だが、肌の色の濃い彼女にその色は映えて、とても似合っていた。

「うん、この赤は、好きかも‥‥」

にっこりと笑顔で呟いてみる。

(ひょっとして、兄貴の死と赤って繋がって、トラウマみたいになってたのかしら?)

過去の鎖から少しだけ開放されたという事なのだろうか?

判らないけれど、この赤には兄の笑顔が連想されるからと、卑弥呼は深く考えないことにした。

「ふふっ‥‥、こうなると楽しみよね。仕事なんて、入れないわよ」

浮かれた気分のまま、卑弥呼はカレンダーのその日にしっかりと印をつけたのだった。



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コメント:

卑弥呼編でした。一面の血ってのは彼女の中にトラウマになっていると思ったもので、あえて彼女は赤が嫌いということにしました。

それでも赤い服を着るのは、蛮に自分が忘れてないということを見せ付けることや、蛮にも忘れてほしくないからかなっと。そんな感じでシリアスチックになってしまいました。

実はこの12。前に書いたメモを失くしてしまいまして、書き直したんですよ。話の大筋ははじめに書いておいたものと変わってませんが。

ま、枝部分の話にあたるので、全体の話に影響はないんですがね。




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