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士度と分かれた後、蛮は一時間程曲がる練習をしていた。 ゆっくりと慎重に走る分にはそれなりに曲がれるようにはなったのだが、何故か少しスピードを出すとスライディング状態になり、横滑りを起こして転ぶ。それは真っ直ぐに走る場合でも時折、起きるようになった。気をつけていればすっかり乗れるようになった蛮だが、曲がる事に気を取られてしまうと横滑りをおこす。 どうにも7月中頃の銀次と似たような状態だった。尤も、銀次はその頃は直進も覚束ない状態だったのだが。 そんな気を使いながら1時間も練習をしていれば流石に疲れてくる。体力的にと言うより、精神的な疲れの方が大きいだろう。 「くっそ〜、何で滑るんだ?」 「蛮ちゃん、一度ホンキートンクに戻って休もうよ。無理しても怪我増やすだけでしょ、ね?」 銀次が宥めるように言う。それを蛮はじろり、と睨みつけ次いで目を逸らし溜息を吐いた。 銀次の言う通りなのだが、それがなぜか悔しい。 今までは本当にぱたりと転ぶ事の方が多かったから、打ち身になりそうなものなのだが、如何せん、その程度の事は受身でダメージになどなりはしないのだ。2人ともがそういう点では常人離れした運動神経と身体能力を持っているのだから。 しかし今のように横滑りして転ぶとどうしても擦り傷が増える。特に半袖から出ている腕は酷いものだった。公園だから水のみ場の水道で、汚れや血は洗い流してはいるが、その程度の手当てしかしていないうえに、更に擦り傷が上に上にと増えてゆく。 当然、ちゃんとした手当てをした方が良いのは間違いない。 最初の頃の傷痕など、既に周囲が黒ずんでいて、打ち身もしている事は間違いないだろう。 (うわ〜、両腕ともボロボロ。見えている所だけでこれだと……、見えてないとこにも、結構怪我しているだろうなぁ。蛮ちゃんってば、イジっぱりだし…) 「そうだな、疲れたし…、一度戻るかぁ」 蛮から自転車を引き取ると、銀次は押して歩き出す。蛮もその横を歩きながら、しきりと自分の両腕を撫でるような仕草をしていた。 「もうちょっとなんだからさ、焦んないほうがいいと、思うよ」 「ん〜、分かっちゃいるんだがな。つい、な。もう少しって思えば余計に焦っちまう」 ボソボソと零す蛮についついと笑みを浮かべてしまう銀次だった。 「ごめんね? 乗ったこと、無かったのにさ『ど〜やったら乗れるの?』って毎回うるさくしてさ」 「いや、ま…、その…。お前が楽しそうだったから、さ……」 カラン、と元気良くドアのベルが鳴る。 「あ、銀ちゃん、蛮さん。お帰りなさい」 「ただいま。夏実ちゃん、レナちゃん」 「おう」 銀次、蛮の2人の声に波児は読んでいた新聞から顔を上げた。 「ブルマン!」 「オレ、ダッチね」 「ツケ払えよ、ったく」 そう言いつつも彼の口元は笑っている。 「うわぁ、蛮さん。この手、どうしたんですか?」 「……転んだ……」 「あ、そうそう。救急箱貸して下さい。蛮ちゃんの手当てしなきゃ」 奥借りるね〜っと元気に言うと、銀次はなかば蛮を引き摺るようにして店の奥へと消えていった。夏実も一緒に、である。 奥の波児の私室で、銀次は蛮をソファに座らせると前に立ってにっこりと笑った。 「蛮ちゃん。服、脱いで」 「へ?」 「それとも、オレが脱がしてあげようか?」 「な、な、なんだよ…、いきなり」 「だって、打ち身してるでしょう? あとズボンで見えてないけど、足も腕と似たような状態なんでしょ?」 にっこりと微笑んだまま詰め寄ってくる銀次から、蛮は逃げるようにじりじりと下がる。とはいえソファの上では逃れられる場所などあるはずもないのだが。 「だ、だからって……、な、夏実もいるし…」 すっかりとうろたえてしまっている蛮だった。 「あ、私の事は気にしなくってもいいですよ。直ぐ店に戻りますし、はい、銀ちゃん。救急箱と絆創膏です」 夏実はそう言って、手に持った小さめな箱と救急箱を銀次へと差し出した。 「ありがとう」 銀次が礼を言って受け取ると、彼女は「じゃ、戻りますね〜」とにこやかに言って部屋を出て行ったのだった。 その夏実を見送るように目で追っていた蛮は、ぐいっと引っ張られたシャツで我に返ったのだった。 「ま、まてっ…じ、自分で、出来るから」 ボタンを外しだした銀次の手を押さえつけて止めさせると、蛮は自分で服を脱いだ。 シャツの下から現れたのは、銀次の予想通りの、いやそれ以上のものだった。 程なく、店の奥から出てきた2人はいつものカウンター席へと腰を落ち着けた。 波児は、計っていたかのようなタイミングのよさで、2人の前にそれぞれの注文のコーヒーを置いたのだった。 「で、乗れるようにはなったのか?」 問いかける波児への返事は、引き攣った銀次の笑みと蛮のそっぽだ。 随分と分かりやすい反応に波児はこれ見よがしな溜息を吐く。 「そうか。まだ乗れんわけだ」 その態度に蛮が、キレた。 「真っ直ぐなら、乗れるようにはなったんだ! なのにだな! 曲がろうとすると……だな、その……」 「横にスライディングして転ぶんだよ。だからもう、擦り傷だらけで、さ」 銀次の言葉通りなのだろう。半袖のシャツから覗く蛮の両腕はしっかりと絆創膏だらけになっているのだから。 「……。曲がる、時だけか?」 「いや、スピード出すと、たまに真っ直ぐでも滑ったりするな」 そうか、と波児は呟いて顎に手をあてた。 何か考えているようだが、蛮が転ぶ理由に心当たりがあるのだろうか? 「なぁ、蛮。確認したいんだが、自転車をこいでいる時になぁ、自分の足で走っているような感じになっていないか? 力の入れ方とか…」 「???」 蛮は波児に聞かれた事を、思い出すような仕草をした。 「あ、ああ!!」 「な、なに?」 突然の蛮の大声に驚いた銀次は危うくコーヒーを噴出しそうになった。 「なる程、そっかぁ。サンキュー、波児」 ニコニコ顔の蛮なんて滅多に見れない(悪ガキめいた笑い顔や悪魔の角が生えたような笑い顔なら多いのだが) ついつい、大丈夫か?と心配したくなった銀次である。 「あ、あの〜、蛮ちゃん? 何が分かったんでしょうか?」 タレて恐る恐る聞けば、「何で転ぶのかって、理由だ」と、あっさり答えられた。 ますます?が並んでしまう銀次だった。 「ま、俺様の事だから理由がわかりゃもう解決したも同然、任せとけ」 ぶもほほほ…と、あまり上品とはいいがたい笑い方をする蛮である。 尤も、得てしてそういう笑いを蛮がした時は、大抵その後に失敗がくっ付いてくることが多いよな…と賢明な波児は心の中でだけ突っ込みを入れていた。 はてさて、理由が分かったところですんなり乗れるようになるものか、神のみぞ知る、というところであろう。 |