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入り口から見上げれば、巨大な建造物は塔のように威圧的に見えてしまうものだ。つい先頃まではこんな風に気安く訪れるようになれる等とは全く思ってもいなかった場所だった。 「さてと…、アイツはMAKUBEXの所か?」 士度は誰にとも無く呟くと、鉄のドアを無造作に開けて中へと入っていった。 巨大なモニター類が所狭しと並ぶ、特異な空間。 MAKUBEXが居るロウアータウンのシステムの中核をなしている特殊な空間だ。その隅っこの方でTVモニターと睨めっこ状態で1人の男がなにやらごそごそやっていた。 ポニーテールに結われた漆黒の髪が、髪型の名前のものさながらにふわふわと左右に揺れる。 「よォ、邪魔するぞ」 「へ? あ〜、士度はん!」 Tvに引っ付いていた男、笑師は士度の声を耳にすると、手に持っていたゲームコントローラーをほおり投げ、士度の元へと駆けつけた。 「士度はんから、此処にきはりますんは、珍しなぁ。なんぞ、ありましたか?」 「いや、そういうわけじゃないんだが……」 士度は言い辛そうに口篭り目をそらせてしまった。 「あ、っと。そ、そうだ。笑師に聞きたいことが、あってだな」 「ワイにでっか? 何なりと聞いてもろてかまへんでっせ?」 「その、自転車に……、乗れるか?」 「は? はぁ、そりゃ乗れまっせ? それが、何ですのん?」 笑師は?を浮かべて逆に士度に問いかけた。 「その、だな。銀次が…」 「はぁ、雷帝はんが?」 「サイクリングに行こうって、言い出してだな」 「サイクリングですかぁ。ええですなぁ。今はまだ暑いでっしゃろけど、もう秋ですもんなぁ。すぐにイイ陽気になりますもんなぁ」 「ああ、そうだろうな。それで、だな…」 「はぁ、それで?」 「わりぃが、自転車の乗り方ってヤツを、俺に教えちゃもらえねぇか?」 言われた内容に、笑師が固まった。 「は? ワイが、士度はんに、自転車の乗り方を、教えるんでっか?」 「ああ。機会が無くてだな。実は乗ったことがねぇんだ。今までは、それで困った事などなかったし」 士度の言葉は相変らず歯切れが悪い。 「ええですよ。お安いごようでっせ。で、いつから始めます?」 「早い方がイイ。出来るだけ、短期間で乗れるようにしたいんだ」 「分かりました。んで、自転車は、持ってはりまっか?」 「あ、まだ、無い。買うつもりはあるんだが…」 「練習用にワイんとこの女の子達が使こてるヤツ、かって(借りて)きましょ。ほな、行きまっせ」 一台の古い自転車を借りてくると、笑師はその自転車からペダルを両方とも取り外してしまった。 その自転車を押して、ロウアータウンの外れ近くの細い路地に出た。緩い傾斜がついた道は比較的真っ直ぐだった。 「ほな、此処で練習しましょっか。一度、ワイがやって見せまっから、まずは見といてくんなはれ」 そう言うと彼は自転車にまたがった。サドルに腰を落ち着けると、勢い良く両足で地面を蹴った。 左右のバランスをうまく取りながら笑師の乗った自転車は路地の端まで走っていった。 すてててて〜と自転車を押しながら小走りで笑師が戻ってくる。 「ほな、今度は士度はんでっせ。同じようにやってください。はなっからペダルを漕ぐと却ってバランスを崩しますねん。まずは身体で直進のバランスを取る事を覚えた方が早いでっせ」 「な、なる程…」 理屈には合っている気がする。しかし、そんなことで乗れるようになるものなのか、いまいち信用しきれない。が、今のところ信じるしか手は無いわけだ。 士度は先ほど笑師がしてみせてくれたように、サドルに座り、両足で地面を蹴った。 慣れない所為でうまくスピードが乗らず、自転車はふらふらと左右に揺れてバランスがとりずらい。 (こ、こんなにバランスがとりずらいモノなのか…) それでも普通の人から思えば、ライオンの背に乗って走るよりはバランスはよっぽど取りやすいとは思うものだろうが、慣れた行動の方が楽だと思ってしまうのは仕方が無い事なのだろう。 1度目、2度目はバランスを崩し、足を着くなどしてやり過ごした。 3度目になって漸くふらふらとするものの、辛うじて足を着いたりせずに下まで走りきれたのだった。 「ええ調子でっせ。もっと勢いを付けた方が楽になりまっせ」 笑師のアドバイスが時折入り、それに士度はいちいち頷いて応える。 「こ、こうか?」 「そうそう、その調子」 そうして半日も経てばかなり楽にバランスが取れるように慣れてきたのだった。 「ほな、今日はこんなもんにしときましょっか。暗くなってくると見えへんからあぶななってきますよってな」 「あ、ああ。そうだな」 「明日もきはりますか?」 「そのつもりだ」 「じゃ、この自転車、明日も借っておきますよって今日みたいに手ぶらで此処に来てかまへんでっせ」 「ああ。分かった。助かる」 士度は笑師に礼を言って分かれたのだった。 士度は帰る途中にホンキートンクへと寄った。 店内をドアのガラス越しに覗くと、カウンターに不貞腐れた様子の蛮と、苦笑を浮かべて冷や汗をかいている銀次の姿があった。 それを確認してから、ドアを開け、店内に足を踏み入れたのだった。 「いらっしゃい」 「ああ、マスター。いつもの奴、頼む」 「はいよ」 士度はカウンターの銀次の横へと座った。 「こんばんわ。士度」 「おう。なんだ、蛇の奴、大人しいな」 「思ったとおりに自転車に乗れないもんで、拗ねているんだよ」 おまちどう、と波児がコーヒーを出しながらこっそりと耳打ちして教える。 「なる程」 「今日中には乗れるようになるはずだったんだ! なんで転ぶのが分かったってのに!」 「分かったって、癖になっている事はちょっとやそっとじゃ治らんだろうが。もう2、3日は練習する事だな」 苦笑しながら波児が零す。こんな事は銀次には言えない。というか銀次が言えばますます蛮は意固地になって意地を張るだろうからだ。天の邪鬼な蛮は、正論だと頭で分かっていても屁理屈をこね回すところがある。 「ああ、そう言えばだな。銀次」 「? 何?」 「昼の話なんだが、マドカにその話をしたんだが…」 「あああ! マドカちゃんには無理だよね。ゴメンね」 「いや、確かに自転車で同行するのは無理だが、お弁当を運んで目的地で待つんなら出来るから、参加したいと言ってきてな。それを伝えようと思って寄ったんだが…」 焦って謝りだす銀次を制して士度は話を続け、そう言った。それを耳にした蛮も目を見開いている。 「へ〜、そういう参加の仕方もあるな」 「うん、そうだね。じゃ、マドカちゃんの都合の悪い日を今度は聞いてきてね。その日を外して予定を立てるようにするから」 「ああ、聞いておくよ。サンキュー」 士度はコーヒーを飲み干して代金を置くと、席を立った。 ほんの少しかもしれないが、時間の猶予がある事がハッキリした。 士度は少しだけ安心した気持ちでマドカや動物達の待つ家へと足を速めたのだった。 |