Fresh Kids !  3



 ぷらんぷらんと両足が楽しそうに揺れている。
 カウンターのロングスツールに腰掛けて、揺れる足程に機嫌が良くないのは憮然としたしかめっつらを見ればわかるというものだ。
 普段の彼等にならさわらぬなんとやらで、御機嫌が直るまでほうっておかれるのだが、怒らせてもまったく恐くもない本日の御面相に、ついいらぬお節介を焼いてしまう。
 とはいえ、いかにも不機嫌を晒しているのはごたぶんにもれず、蛮ひとりきりで相棒のもうひとりは自分の身の上に起きたことに、ショックはあるのだろうが、それよりも蛮のナナメをなんとかマッスグにしょうといつもながらの無駄な努力の真っ最中だ。
「ばんちゃん、きげんなおしてよ。ほら、せっかくぽーるさんにいれてもらったほっとみるく、さめちゃうよ。あまくてとってもおいしいんだからさ」
 蛮は銀次の言葉に銀次を波児を交互に眺めやってからじろりと睨みつけ、まだ機嫌は直らないぞとぷいっと横を向く。
「けっ、こんながきんちょののみもん、のめるかよ」
 いつものブルマンを注文して出てきたのが、蜂蜜入りのホットミルクでは確かに客を莫迦にしているのか、からかっているのかと言わざるえないが、一応なりともこの店のマスターは考えた上で出してやっているのだ。
 いくらなんでも赤ん坊にコーヒーなんて刺激物はまずいだろう。
 そもそも出されたものに文句をつけれる立場ではないはずなのだ。ふたりとも……。言い分は金を払う客のみが正当に与えられている権利なのだ。
 ましてや、このふたりなど……、いつ払ったよ。ってなもんだ。このミルクだって多分つけ、いやいやこれについては『ただ』になっているのかもしれない。
 子供特有の舌ったらずなかん高い声でえらそうに怒る、目前の幼児に・だってお前がきんちょじゃないか・と言いそうになるのを堪えて波児は深いため息を吐き出して首を振った。
 ごくごくうす〜いコーヒーとは呼びたくない色付き水をミルクの横に出してやるが、一口飲んだ後難しい顔をして黙ってカップを置いた。
 しかし文句を言わないところを見ると、蛮自身わかってはいるのだろう。何が原因でこんな面白いことになったのか知りようもないが、その原因がつかめない以上不用意に刺激物は飲まない方がいい。
 また、そうでなければあまりに波児が可哀想だ。
 苦節35年、コーヒーには豆からこだわり抜いてきた男、意図してこんなまずいものを客に出したことははっきり言ってない! そしらぬ顔でランチの用意をしている波児の心中には不本意という涙の滝が流れ落ちていることだろう。
 短くない時間が過ぎて、銀次はもとより蛮の口直しに飲んだミルクも空になり、昼に出されたランチ(多分おごり)もペロリと平らげキュウピーのような腹がさらに膨らんだところで外は突然の雨にみまわれた。
 道行く何人かが雨宿りをかねた客となり、店はにわかに忙しくなった。
 店には一瞬空虚の間ができる時間がある。静寂の中に空間ごと放り込まれたように、すべての動作、音が一瞬だけかき消える。
 雨は丁度そんな刻に、まるで店の空間の覚醒を促すように降ってきたのだ。
 コーヒー好きのささやかな憩いの場としての店内はさほどの広さはない。故に常連客と何人かの雨宿り客で店内は8割りほど埋まってしまう。
 広くはない店内のはずなのにひとりできりもりするのは、アルバイトを雇っている今となってはなかなか大変だ。昔の自分が思い出せないと波児は自嘲ぎみに笑った。
 現在、この店のアルバイトは二名。それぞれに様々な事情を抱えているが、どの子もみな愛らしい少女達で近頃は彼女達目当ての客も増えている。
 立派な看板娘だ。
 その看板娘達も今日はまだ来ていない。こんな訳のわからない状況の時こそ、俺をひとりにしないでくれと波児は叫びたかったのかもしれない。彼女達がいたからといって何が変わるということもないが、少なくとも接客からは解放されて混乱した頭を整理する時間は取れるはずだ。
 入り口から程近いカウンターにちょこなんと座った『ぎんちゃん』『ばんちゃん』に子供好きが・あら、可愛い。ぼくたち天使ちゃんみたいなのね。パパはお仕事中ね・と声をかけているのが聞こえてくる。パパとはいったい誰のことだと空恐ろしい言葉を理解してないふりをしても、天使の皮を被った小悪魔達は客からビスケットやらの菓子を貰い御満悦顔で、98%わざとだろう、にっこり笑ってうなづいている。
 幼児の不便さと苛立ちを(それでもきっと銀次は深く考えていない。きっと考えていない)世話になっている店主にぶつけて解消しようという人でなしに菩薩のような波児は困ったもんだとため息を吐き出した。
 にわか雨でそのうち小振りになるだろうと踏んでいたが雨は予想に反して、本降りになった。何人かの客は店の貸し出し用の傘で急ぎ足に出て行ったが、多くは小振りを粘り待つつもりのようだ。
 ・ガラン・とけたたましい音をたててドアベルが鳴り、勢い良く開かれたドアから横殴りの雨とともにずぶ濡れの少女? が現れた。
「か、花月く……ん?」

 一斉に浴びる視線にも構わず、つかつかとカウンターまで歩み寄るとドカリとスツールに腰をかけ、サービスで置かれた水を一気に飲み干した。
 深い息を吐き出し、波児から受け取ったタオルで濡れた頭や衣類を拭きながらどっさりと背負っていた大袋を降ろし、そと袋の中から取り出したものは、どう見ても小さな子供だった。子供はダボダボのズボンとシャツを着ている。この雨で濡れないように丈夫で大きな登山鞄の中に入れてきたのだろう。どうりでただの袋にしてはごつかったわけだ。
 見たところ6才くらいだろうか。眠っているのかぐったりと手足を伸ばしている。
 どこかで見たような顔の子供である。
 花月は少し落ち着いたのか、波児にブレンドを注文してから眠る子供が落ちないように抱き直した。時折、ちらりちらりと物言いた気に波児を見上げる。
 普段ならいち早く銀次の動向を聞いてくる彼だが、今日はまったく頭にないのかあたりの様子も見ていない。
 自分のことに精一杯で、隣に座る意味深な幼児達に気付いているのかいないのか。銀次にしても今の状態が状態なので、声を掛けづらいのだ。
 御注文のブレンドを花月の前に置いてやると、ゆるく笑って受け取った。
 カップを持つ手がぷるぷると震えている。落ち着いて見えた彼だが実のところは心はかなり動揺していたのだろう。
 波児の心の深〜いところに悟り深い妖怪がしたりげににゃついている情景が浮かんだ。
「何か、あったのかい…?」
 花月の顔がぱっと大きく上げられる。あまりの素早さに彼がこの言葉を待っていたことは明らかだ。波児は己が墓穴につっこんでいったことに気付いた。
─── ……こりゃ、ヤバい、かもな。ああ、妖怪が笑ってる……。───
 それは一気にたたみかけるかのように話しはじめた。長い文章も息継ぎなく、およそ普段の優雅な物腰の彼らしくない話ぶりはかえって、彼の心の葛藤を色濃く浮き彫りにし、自然と聞く波児の方にもただならぬ緊張感が立ちこめる。
「と、いうわけなんです……」
 冷や汗が背中をしたたり落ちてゆく。
 いやな予感というのは大抵当たるものだ。子供連れの花月を見た時ちらりと思った馬鹿馬鹿しい解釈がドンぴしゃりと当たってしまったのだ。
 事情のわからない人間ならばそりゃあ何のコントだと笑うかもしれないが、笑ってはいられない事実がすでに一件目に起こっている。波児はちらりと『ぎんちゃん』『ばんちゃん』を見た。
─── 僕の十兵衛が、こ子供になっちゃったんです!! ───
 ふたりで仲良く昼寝の最中(なんでどいつもこいつもヤロー同士寝るかなぁ)目覚めたらかたっぽの姿が明らかに6才ぐらいの子供とわかるほどに縮んでいた。あまりの驚きで取るものも取りあえずに当の小十兵衛を登山鞄に詰め込んで、途中大雨に降られたものの蓋を閉めてここまで走って来たのだと、まあそういうことらしい。
 どうしてここに来たのかという質問に、花月は申し訳なさそうに激しい混乱の中で、ここしか思い付かなかったことと、何故かマスターならなんとかしてくれるような気がしたからだと告げた。波児にとっては実に迷惑な話しである。
 それにしても、揺さぶられ、掴まれ、鞄の中に入れられてそれでも起きないとは、この子供(十兵衛)なかなか大物なのかも知れない……。
「……、どうしたらいいんでしょう」
 ほとほと弱り切った顔で言われても、波児とてどうすることもできない。大人が突然こんな子供や幼児になる奇病(なのか)? なんてはじめてのことだ。とにかく誰かさんの一分間のイリュージョンだったらいいのにと、波児は思わずにはいられなかった。
「ふん! こんなとこにきてなんとかなるわけねーだろう。いとまきのくせにあたまねーな」
 舌ったらずな高い声が突然、隣から投げ付けられ、花月は初めてそこに座る3才ほどのふたりの幼児を認識した。
「ま、いとまきだからしょうがねーかぁ? じぶんじゃあなにひとつしねーたりきほんがんだからよ、これさいわいにぽーるのじょうほーたよろうとしたんだろうがよ」
 真っ黒な少し長めの柔らかそうな頭髪に、幼児には不釣り合いな大きめのサングラス。サングラスの向こうにはサファイアのような綺麗な青い瞳が、悪戯っ子のように輝いていた。誰かを酷く連想させる顔である。とくにこまっしゃくれた悪舌には小さいだけで彼そのものだと言ってもよいだろう憎らしさだ。
「どこの糞ガキですか? 何か酷くムカつくんですけど」
 大人げないとわかっていても花月はこの顔を見ているだけでも殴りたくなる衝動にかられた。
「・蛮・と・銀次・だ」
 言葉短に応える波児に一瞬思考が止まる。
「へっ?」
─── この小さいのが銀次さんと美堂くん? ま、まさか ───
「かづっちゃ〜ん」
 小憎たらしい幼児の隣で彼の態度に、はらはらと気づかっていた金髪の天使が小さな手を振っている。
 大きな鳶色のどんぐり眼はとても素直そうで、花月が信頼している人に良く似ていた。近寄って柔らかな頬をぎゅーううううううううううっと引っ張ってみた。
「か、かづ、かづっちゃん、かづっちゃ〜ん、かづっちゃ〜〜〜ん、いたいよ〜」
「まだ、わかんねーのかよ。おめぇーもにぶいな。しょうしんしょーめーの・げっとばっかーず・ばんとぎんじだ。そいつとおんなじよーにおれらもちぢんじまったんだよ」
 いかにもいまいましそうにケッと吐きすてると、花月を睨み付けるように見上げた。
 えぐえぐと泣きながら、かづっちゃんいたいと訴えている小さな銀次の頬を引っ張ったままだったのに気付き、あわてて手を放す。
「えっ、あっ、す、すいません。でも…、本当にほんとーに銀次さんなんですね。これタレてるだけじゃないんですよねぇ。で、でもどうして、こんなことに……」
 もう何がなんだか花月はわからなかった。
 叩いても。(叩いたのか…)
 殴っても(殴ったのかよ)
 吊るしてみても(糸で?)
 死んだように眠る十兵衛を抱え、コーヒー一杯にせめてもの安らぎを迎えに訪れた店でこんな面白い現象に二度もお目にかかることになるとは。
 本当にこれはなんの病気か、罰なのか……。ひとり、ふたり、三人の幼児と子供。三人もいるということは、ひょっとしてまだ出てくるのではと、波児は少し恐い考えになった。
 大降りの雨だったが、やはりにわかのものだったらしく、あれだけせいだいに降っていたのにもかかわらず、すっかり上がり青空が雲の合間から見え隠れしていた。
 ・シャラ〜ン・今度のドアベルは穏やかな音を立てながら、新しい客を迎え入れた。
 穏やかとは普通思えないだろう。百獣の王に跨がった子供の客なんて。



 
コメント; 第3弾目もよしの担当。焔によしのの書くかづっちゃんは黒いとさんざん言われとります‥‥。えっ‥、そんなに黒いかなぁ‥‥‥?




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